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台湾便り 上島山・泰安温泉 [台湾の山]

今日は山仲間と「忘年登山+温泉+夕食会」ということで、苗栗縣泰安郷の上島山(シャンダオサン)に登って、泰安温泉に浸かって来ました。

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上島山への登山口は泰安温泉郷の一番奥にあります。12月ですが台湾の山はまだ緑がいっぱいです。山道を登っていると突然目の前に竹林が現れました。直径20cmもあろうかという立派な竹です。

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三時間近くかかってたどり着いた山頂からは、雲海の向こうに霞む山並みが見えました。

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昼食を終えて山道を下って来ると、地元の人たちが登山道を整備していました。つるはしで土をならし、間伐材を切って階段の土止めや支柱を作っています。大粒の汗を流しながら黙々と仕事をしていますが、急斜面なので作業は大変です。有難いことですね。

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麓近くに戻って来ると、泰安郷の家並みが目に入りました。日本では山登りの後に良く立ち寄り湯に入りましたが、台湾の登山では初めてで、期待に足取りも軽くなります。

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登山口まで下って来ると、雲間から色付いた林の上に聳える鳥嘴山の絶壁が見えました。


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さて、待望の温泉は、安藤忠雄さんが設計した「泰安静止温泉会館」で、落ち着いた雰囲気です。コンクリート打ちっぱなしのシンプルなデザインの建物を見て、冗談好きなD君は受付の女性に、「ねぇ、この建物はいつ完成するの?」と半分真顔で聞くと、受付の女性は少しキッとなって「もう完成しています!」と答えていました。

露店風呂には水着着用のものと、日本式のものと二種類ありました。もちろん、「水着を着るなんて温泉じゃない」と思っている私は、日本式に入りました。湯温は少し低めですが、それでも上弦の月を見ながらのんびり湯船に浸かっていると、一日山を歩いた疲れも癒されます。

食事を始める前、隊長のR君が突然立ち上がって、「もうすぐヒデさんの誕生日だから、皆でハッピーバースデーを歌いましょう」と祝ってくれました。レストランにいた他のお客さんたちは、一瞬何事かとこちらの方を振り向きましたが、R君が構わず、「はい、今度は皆さんも一緒に!」と音頭をとると、何と一斉に歌ってくれました。日本じゃ考えられないですけれど、皆さん乗りが良いのでビックリしました。やっぱり台湾ですねぇ。

【泰安静止温泉会館】 苗栗縣泰安郷錦水村圓敦58號 03-794-1951
http://www.papawaqa.com.tw/

台湾便り 夫婦山(桃園縣) [台湾の山]

二つのピークを持つ相似峰の山は、その形に因んで「双子山」「夫婦山」などという名前が良く付けられますが、台湾にも夫婦山があります。

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桃園から北部横貫公路(通称「北横」ベイヘン)を通って大漢溪の上流に遡り、羅浮の先で雅渡方面への山道を更に進みます。標高4000m近い雪山山系が北に向かってその高度を急激に下げて行く北横沿いの谷は深く、まるで衝立てのように切り立った崖の中腹をマイクロバスは進みます。岩や土がむき出しの崖はどう見ても不安定で、台風で度々道路が不通になるのも頷けます。

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台湾便り 玉山 [台湾の山]

この週末、玉山に登ってきました。一昨年は排雲山荘止まりだったので、今回は再チャレンジです。仕事を追えて8時過ぎに台北を出発したバスに乗った私たちは、夜中の1時過ぎに奮起湖の宿に着きました。明日からの登山に備えて、阿里山系の奮起湖に前夜泊としました。

【第一日】
朝目覚めて散歩がてら、奮起湖の駅に行ってみました。

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阿里山鉄道は現在一日一往復、夕方列車が入線するまで、駅構内は人気も無く、ホームでは近所の子犬がじゃれついて遊んでいました。

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台湾便り 陽明山 [台湾の山]

台湾に来て2年と5ヶ月、この間玉山、雪山を初めとして3000m級の山をいくつか登りましたが、有名な陽明山にはまだ登ったことがありませんでした。先週の観音山に続いて玉山の足慣らしに、手近な陽明山に登ることにしました。

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台北駅の北口から260番のバスに乗って陽明山總站へ行き、そこで小型の陽明山周回バスに乗り換えます。陽明山への登山口は東西南北いずれにもありますが、北側の小油坑(シャオヨゥカン)から七星山の山頂を目在すことにしました。

小油坑。硫黄を大量に含んだ・・・続きを読む


台湾便り 観音山・八里 [台湾の山]

淡水の町から淡水河の向こう岸を眺めると、なだらかな稜線をした山が見えます。丁度、観音樣が仰向けに寝ているように見えるので、「観音山」という名前がつけられました。再来週玉山に行くので、足慣らしに登りました。登山ルートはいくつもありますが、今日は凌雲禅寺から硬漢嶺歩道のルートを取りました。

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凌雲禅寺近くの登山口。屏風のような鷹仔尖(440m)が、覆いかぶさるように迫って来ます。

今日は天気が良くて・・・続きを読む


台湾便り 司馬庫斯の巨木區 [台湾の山]

新竹県の内灣から尖石を抜け、2時間半ほど入った海抜1500mの山間に、台湾で最も奥深いといわれる原住民の村落「司馬庫斯(シマグス)」があります。ここに住むのは泰雅(タイヤー)族の人たちで南投県あたりから移って来たと言われています。


国道80号線沿いにある宇老(ウーラォ)の街角にて。トマトは小ぶりですが、味はしっかりしています。渓流で冷やして食べると懐かしい味がしました。右は臭豆腐の揚げもの。都会で売っているものと違って、かなり大きめにザックリ切ってありました。


司馬庫斯の入口にある木彫。台湾の原住民は大きな木を使って様々な表現を見せてくれます。


キリスト教長老教会の入口の扉には、庭にある竹藪と花がまるでそこだけ切り取った絵のように映っていました。司馬庫斯の人々は、もともと自分たちの信仰を持っていましたが、今ではキリスト教が主体です。これは虐げられることの多かった原住民に、キリスト教が救いの手を差し伸べたという歴史的背景もあるようです。


司馬庫斯から見下ろす塔克金溪の谷。10年ほど前にこの村付近で巨木群が発見されて観光道路ができるまで、司馬庫斯の人たちは日々の生活物資を得るために、この深い谷合を一旦塔克金溪まで下り、外界とつながりのある新光村まで再び山道を登るという、大変な不便を強いられていました。


巨木區に向かう登山道は比較的緩やかですがアップダウンが繰り返されます。一緒に行ったご家族が、3歳と5歳のお子さんを連れてきていました。二人とも親に甘えることもなく、往復11キロの山道を歩き通した頑張りには目を見張りました。


巨木區の入口近くにある渓流の川原で先ずは腹ごしらえ。豊富な雨量のために森の木々は苔むしています。


大老爺の名をもつ台湾第二の紅檜の巨木。幹回りが20m強あります。右下の人物と見比べてみると、その大きさが分かります。


巨木はまるで天を突きあげるかのように、その存在感を示していました。大地に根差す根周りは、まるで岩のようです。


30年前にようやくこの村に電気が届くようになるまでは、夜は漆黒の闇だった司馬庫斯は「黒色部落」と呼ばれていたそうです。屏風のように立ちはだかる山に囲まれた谷間の道には行き交う車もなく、6時前だというのにもう真っ暗で、我々の乗った車のヘッドライトに照らされて、行く手に覆いかぶさるような木々の枝葉が白く浮かび上がっていました。

司馬庫斯については、下記サイトに詳しく載っています。
http://www.smangus.org/


台湾便り 奇萊南峰、南華山(2) [台湾の山]

【第2日】 天池山荘から奇萊南峰、南華山へ

3時、テントから出ると、夜空は満天の星。心配した風も収まって、絶好のコンディションです。軽い食事を済ませ、奇萊南峰を目指して出発です。天池に差し掛かると、正面に北極星を挟んでカシオペアと北斗七星が一直線に並びました。その少し上で燦燦と輝くヴィーナスに誘われるように、東の空がうっすらと白み始めました。


6時、夜明けです。振り返ると雲海をオレンジ色に染めながら、ゆっくりと太陽が昇って来ました。


太陽が顔を出すにつれて、鋭い切っ先を持つ奇萊の北峰(3607m)が、射光の中にシルエットを浮かび上がらせました。


朝陽を浴びて、夜露に濡れた草木から霧が立ち上ります。


南華山頂付近は、中腹の険しい山容とは打って変わって、玉山箭竹の群生するなだらかな草原が続きます。


南華山頂付近からは、奇萊山系から東海岸に流れ込む木瓜溪の先に花蓮の町と、光り輝く太平洋が見えました。3000m級の山々が続く中央山脈は、一気に太平洋に切り落ちて行きます。


下山途中から雲行きが怪しくなりました。私には昨日と同じように見えましたが、ガイドは「雲の流れる方向が違うので雨が降る」と言いました。10分ほど経つとその言葉通りに雲が大きく垂れこめ、激しい雨が降り始めました。奇萊山の地質は変質緑色片岩や石英質ですが、風化によって到る所に地滑りによる崩落谷が見られます。雨で崩落谷に瞬く間に川が現れ、土砂を押し流して行きました。

【登山道に咲く花】
この季節、日本の山はもう冬支度ですが、さすが南国だけあって、台湾では3000m近い山でも、ナデシコやフウロ、ランなどのが花が見られました。


台湾便り 奇萊南峰、南華山(1) [台湾の山]

7月上旬の雪山以来、久しぶりに山歩きをして来ました。場所は東海岸に程近い中央山脈の奇萊山南峰(3375m)と南華山(3183m)です。雨になるという大方の予想が外れて、快晴の天気に恵まれました。奇萊山の主峰と北峰はかなり険しい難ルートですが、南峰は比較的穏やかで親しみやすい山です。

【第1日】 春陽温泉から池上山荘へ


前夜泊した春陽温泉山荘の朝。この地域は山岳の原住民泰雅(タイヤー)族が多く住む所です。山荘の子供が子猫と遊んでいました。台湾の人は本当に動物を良く可愛がります。


奇萊南峰へは南投縣仁愛郷霧社から屯原登山口に到り、能高越嶺道を通って入ります。能高越嶺道は元々泰雅族が貿易路として使っていましたが、日本統治時代にはこの山地の森林資源を求めて原住民と激しく戦い、その統治のために道が整備されました。


台湾の山は急峻です。崖にへばりつくような登山道を注意しながら進みます。


天池山荘手前の吊り橋。崖を伝うように這う登山道には、多くの吊り橋が掛けられています。


つり橋から見上げた能高瀑布。屏風のように立ちふさがる岩壁から、何段にもなって滝が流れ落ちてきます。


標高2800mにある天池山荘のテント場は丁度テラスのようになっていて、正面の能高連山の刻一刻と変わる姿が手に取るように見えます。湧き上がる雲が、風に乗って能高の山稜を激しく乗り越えていきました。


食事の後テントでごろ寝をしていると、山小屋から歌声が聞こえてきました。山の上は気温も下がり、シンシンと冷え込んできますが、さすが南国気風です。高粱酒で気分の盛り上がった山岳ガイドの人たちが歌い始めると、皆も輪になって踊り始めました。私も見よう見まねで仲間に入れてもらいました。

宴も終わり、外に出ると夜空は満天の星。ジュピターのすぐそばを人工衛星が通り過ぎて行きました。テントに入ると風が出てきました。明日の天気が少し気がかりです。


台湾便り 雪山(2) [台湾の山]

【第二日】 三六九山荘から雪山主峰、武陵登山口へ下山

今日は早朝2時半に三六九山荘を出発し、雪山主峰をアタックした後、再び三六九山荘に戻り、七卡山荘を経て登山口の武陵農場まで下る総行程11時間の長い道のりです。1時半に起床して、お粥の夜食を食べながら空を見上げると、満天の星空に天の川が流れていました。日本では今日が丁度七夕で、天の川を挟んで牽牛星と織姫星が出会う日ですが、台湾では農民暦(旧暦)の7月7日(今年は8月19日)を「乞巧節」と呼び、七夕のお祭りが行われます。


懐中電灯を頼りに暗い夜道を2時間ほど歩くと空は次第に白み始め、5時を過ぎる頃には煌々と輝く朝空に、中央山脈の稜線がくっきりと浮かび上がりました。


森林限界を超えると、第一圏谷(カール)沿いの瓦礫の道が続きます。碗皿のような形をした圏谷は、一万数千年前の氷河期に、一層一層積み上げられた氷が、その重みに耐えかねて、岩肌を削り落として作り上げた自然の造形です。希薄になった空気に息苦しさを感じながら、山頂に至る最後の登りを一歩一歩踏みしめながら進みます。

5時45分、ようやく雪山主峰(3886m)に辿り着きました。しばらく休んで息を整え、辺りを見渡すと快晴の空の下、360度の展望が開けました。


雪山主峰から北稜角(手前のピラミッド型ピーク)、雪山北峰を経て大覇尖山(中央右手奥の鋭いピーク)に至るまで約15kmに及ぶ稜線は、1927年に大霸尖山への登頂に初めて成功した日本人、沼井鐵太郎によって「聖稜線」と名付けられました。聖稜線上には3500m級の山々が連なり、その起伏の激しさと長い行程から、台湾山行の中でも難関ルートのひとつと言われています。同行したS君は学生時代にこの聖稜線を含めて、雪山山系を7日間かけて縦走したそうです。


3200mから3700m附近の森林限界までは、黒森林と呼ばれる台湾冷杉(樅の木)の樹林帯が続きます。登る時は闇の中だった林にも、山頂から戻る頃には朝日が差し込んで、深い陰影を作っていました。


三六九山荘で荷物を整えて、武陵登山口に向かって下る途中、左手に品田山(3524)の特徴ある岩肌が見えました。山頂付近には変質岩の褶曲や斷層が露出していて、山の名前はこの紋様に由来しています。


北峰の巻き道から振り返ると、雪山の主峰と山頂付近の圏谷が見えました。


中央尖山と南湖大山を正面に見ながら哭坡を一気に下ります。ちょっと膝の泣き所です。


長い道のりを終えてようやく登山口に着くと、冷やした西瓜が用意されていました。大きな塊にかぶりついて、喉の渇きを潤しました。

【雪山登山道で見られる高山植物】


玉山龍膽(りんどう)と阿里山龍膽


玉山金丝桃と薄雪火毯草(ウスユキソウ)


早田氏香葉草、フウロに似ていますね。その他にも可憐な花がたくさん咲いていました。

【後記】

今回の登山はかなり強硬なスケジュールでしたが、全員無事に登頂を果たしました。快晴無風の絶好のコンディションに恵まれたことと、プロの山岳ガイドが2人前後について、休息も含めた正しいペース配分で引率してくれたことが大きな要因です。13人のメンバーのうち、始めて高山に登る人も含めて女性が7人いましたが、いざ登り始めると何のことはない、先頭を切ってどんどん進むその逞しさに、改めて台湾女性のパワーを見せ付けられました。

【登山情報】
登山口:武陵農場 
宿泊:七卡山荘、三六九山荘 いずれも素泊まりのみです。
行程(休憩を含む):武陵登山口(2140m)-(1.5hr)-七卡山荘(2463m)-(5hr)-三六九山荘(3100m)-(3.5hr)-雪山主峰(3886m)-(3hr)-三六九山荘-(4hr)-武陵登山口


台湾便り 雪山(1) [台湾の山]

【前夜泊と第一日】 武陵農場から七卡山荘、三六九山荘へ

台湾の最高峰は3952mの玉山、次は3886mの雪山、そして第3位は3860mの秀姑巒山、いずれも富士山より少し高いのです。九州ほどの広さの台湾ですが、3000m級の山がひしめきます。今回は雪山に登って来ました。北東海岸の三貂角から台中の日月潭に至る雪山山脈は、台北、新竹、宜蘭、苗栗、台中の五縣にまたがり、全長180km、幅約28kmに及びます。丁度日本海に始まって、朝日・白馬から槍・穂高を経て、乗鞍・御岳に至る範囲とほぼ一致します。雪山は高さこそ第一位の玉山に譲りますが、アプローチの長さと厳しい道のりのため、玉山よりもむしろ難しい山だと言われています。

新竹から登山口の武陵農場までは、通常苗栗縣の三義から中部横貫道路の梨山を経て入りますが、現在中部横貫道路が閉鎖されているため、台北から宜蘭周りで行くことを余儀なくされました。仕事が終わってから出かけたので、ガイド2人を含めた一行15人が登山を始めたのは夜中の1時半、それから懐中電灯の明かりを頼りに山道を歩いて、七卡山荘(2460m)に着いたのは明け方の3時でした。


早朝の七卡山荘。七卡の名前は、この辺り一帯に住む原住民泰雅(タイヤー)族の言葉Kikuru(重要な狩場)から付けられました。大鍋で作った朝食を食べて三六九山荘(3100m)に向けて出発です。


歩き始めて1時間半、振り返ると中央尖山(右3580m)の鋭いピークの向こうから入道雲が激しく湧き上がるのが見えました。


哭坡(クーポー:泣き坂)と呼ばれる登りの難所。長く急な登りは辛いですが、振り返る景色の美しさにしばし疲れも忘れます。


東峰(3201m)に登る頃には雲が山稜附近を被い、雷鳴が轟き始めました。


三六九山荘に着くと間もなく、山荘のトタン屋根を激しくたたきつける強い雨が降り始めました。山荘の蚕だなに横になると、昨日の睡眠不足からウトウトとまどろんでしまいました。しばらくして目を覚ますと雨は既に上がっていて、谷から湧き上がる雲の上に、ポッカリと桃山(3325)が浮かんでいました。


すっかり晴れ上がった青空の下にその全容を見せた品田山(3524)、池有山(3303)、桃山(3325)。この三山に喀拉業山(3133)を合わせた四つの山は、「武陵四秀」と呼ばれています。夕陽を受けて時々刻々と変わる山容を見ていると、大自然の素晴らしさに時を忘れてしまいます。


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