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追伸

お久しぶりです。
日本に帰って少し落ち着いたので、別の形でblogを書き始めました。

http://hidesanessay1.blog.so-net.ne.jp/

スローペースです。

台湾便り(最終回) 帰国 [アパートの暮らし]

この年末で台湾の滞在を終えて日本に帰ることになりました。今日が台湾で最後の出社日となり、皆がお別れ会を開いてくれました。最後に思いがけず全員で工場の玄関まで見送ってくれた時は、眼鏡越しの夕暮れの景色が少しゆがんで見えました。

過ぎ去ってみればあっという間の三年間でした。

来た当初は全く中国語が分からず、仕事以外での意思疎通の手段は唯一筆談。見よう見まねで異国での一人暮らしを始め、今にして思えばなかなか手間のかかる生活でした。それでも無事に過ごすことができたのは、「まぁなんとかなるわいな」といった持ち前の気楽な性格と、何はさておいても周りにいた親切な台湾の人たちと家族の理解のおかげです。

仕事で良き仲間に恵まれたのは勿論のことですが、私生活でも山や海に誘ってくれたクラブの仲間、春の祭りや食事に招いてくれた北門街の鄭さん、しばらく行かないと「好久没看到呢(しばらく見かけなかったねぇ)」と声をかけてくれる朝市のおじちゃん、おばちゃん、散髪屋さん、小吃店の店員さん、そして旅先で出会った人たち・・・数え上げれば切りがなく、この国の人たちの温かさは心にしみます。

病床の母にいつも気を配り、最後を看取ってくれた太太がいなければ、台湾での仕事を終えることは到底できませんでした。

時に海を越えて訪ねて来てくれた友との楽しい語らいが、一人暮らしのエネルギー補給となり、また、こちらに来てから知った数多くの「台湾大好きブロガー」の方たちの記事も、日々の楽しみを増やしてくれました。

これまで多くの国を訪れました。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、少し遠い西アフリカ諸国や内モンゴルの砂漠地帯・・・それぞれに印象深い旅でしたが、住んでみて初めてその国が分かるという意味で、台湾での生活はこれまでとは違った形で私の記憶に刻まれました。

戦前の大先輩や、今もこの国に長く暮らす日本の方々に比べれば、三年という月日は浅く、未だ台湾の入口を垣間見た程度にしか過ぎません。 いざ「これでおしまい!」となると、あれもしたかった、ここにも行きたかったと、想いが残るのは人生の常ですが、それでも限られた時間の中で、自分なりに貴重な体験ができたと思っています。 

美しい山や海、今なお残る原住民・大陸・ヨーロッパ・日本文化の足跡、いつも線香の絶えない廟、祭りの喧騒、朝市や夜市のにぎわい、我先のオートバイなどに見るエネルギッシュな庶民生活とにこやかな笑顔・・・仕事でお世話になった新竹・台中・台南の科学園区で見た急速な経済発展の姿とは違った意味でとても印象深く、これからも折に触れて懐かしく思い出すことでしょう。

ブログを見た会社の人の中には、「ヒデさん、台湾で仕事してないんじゃないの?」なんて言っている人もいたようですが、それはあらぬ疑いで、仕事で多少疲れていても、部屋にこもっていないで出かけたくなるような魅力が、台湾にはたくさんあるのです。

台湾を去る今、懐かしい情景の数々が思い起こされます。

青い海

S1 トンネル越しの金雁山.jpgS3遠浅海岸.jpgS1テトラポット.jpg
S5方寮漁港.jpgS4三仙台.jpgS6懇丁公園.jpg
S9芹壁二人.jpgS8緑島.jpgS7亀山島全景.jpg

山と渓谷

M7日の出.jpgM4崩壊沢.jpgM2武稜四秀.jpg
M3聖稜線.jpgM1太魯閣.jpgM5能高越え.jpg
M6池.jpgM8南華稜線.jpgM9朝焼け.jpg


森と湖

F5射光.jpgF4花.jpgF1地上根.jpg
F6ラル島エイト.jpgF3虹橋.jpgF2水辺の水社柳.jpg

老街(ラオジェ)の古い町並み

L5南北雑貨専売街.jpgL6大溪.jpgL4三峡.jpg
L3北門街.jpgL2九曲巷.jpgL1老街.jpg

お線香が絶えない廟

My4屋根人形.jpgMy8.jpgMy3広済宮.jpg
My7.jpgMy9受鎮宮.jpgMy6.jpg
My1蝋燭.jpgMy5祖師廟祭壇.jpgMy2線香.jpg

賑やかな祭り

F05新竹元宵節.jpgF03義民祭.jpgF07銅鑼.jpg
F10龍比賽.jpgF12阿美の踊り.jpgF11千手観音.jpg
F09龍.jpgF08.jpgF04元宵節.jpg

古き時代の名残りを留める建物

A01真理大学.jpgA10協会門.jpgA09高雄英国領事館.jpg
A12月眉池.jpgA11汲古書屋.jpgA03魚楽軒.jpg
A07芹壁.jpgA06嘉義神社.jpgA02新竹火車站blog-m.jpg

日々の生活に見る様々な文化

C8古茶.jpgC9古楽器.jpgC11安之居.jpg
C5影絵.jpgC4面.jpgC2按摩看板.jpg
C1四人乗り.jpgC3茶.jpgC6南管.jpg

美味しい食べ物

F01肉丸揚げ.jpgF02干貝花枝丸.jpgF10蓮霧.jpg
F04食材.jpgF11クランベリー.jpgF03福州餅.jpg
F13紅火龍果.jpgF05脆皮豆腐.jpgF06粽.jpg
F07担仔麺.jpgF09同記豆花.jpgF08虱目魚丸.jpg
F12鴨肉麺.jpgF14ライチ実.jpgF15魯肉飯.jpg

活気あふれる市場

D01水果店.jpgD02伊勢えび.jpgD03かに.jpg
D04乾物屋.jpgD05八百屋.jpgD06蝦蟹.jpg
D07豚肉.jpgD08リヤカーの鶏.jpgD09路端野菜.jpg
D10台湾ダック.jpgD11魚.jpgD12蟹の爪.jpg

そして何よりもたくさんの笑顔・・・

H01店のおじさん.jpgH15若者.jpgH02芋圓.jpg
H03店先.jpgH17.jpgH05原住民ショップ.jpg
H06トマトのおじさん.jpgH18.jpgH20雪山山頂.jpg
H07お嬢さん.jpgH04原住民の踊りH.jpgH08高校生.jpg
H09有記茗茶.jpgH14玉山頂合照.jpgH39水飴.jpg
H10清血茶.jpgH26Xmas.jpgH11少数民族.jpg
H12お茶・おじさん.jpgH28鳶嘴山.jpgH35.jpg
H13銀杏茶のお店.jpgH36.jpgH19霊洞廟京劇面.jpg
H21変面.jpgH37.jpgH27米粉節.jpg
H29山小屋デュエット.jpgH38.jpgH30泰国.jpg

家族への便りのつもりで、思いつくままに書き留めて来たブログの記事も400を数えましたが、台湾を離れるに当たって一旦筆を置こうと思います。これまでご愛読いただいた多くの方々にお礼を申し上げるとともに、今後は皆さまのブログの読者として、お便りを楽しませていただこうと思っています。三年間有難うございました。

そして、

ありがとう台湾! 

それでは皆様お元気で! また、どこかでお目にかかりましょう。
謝謝大家、再見。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 
各位親愛的blog讀者、大家好。
我将在這年底離開台湾。光陰似箭。時間過得真快。

我想起三年前第一次來台湾的時候、従飯店的窗戸眺望新竹市的夜景時、
感覚到跟日本有著微妙差異的空氣、同時想著将要開始的異郷生活。
天天面臨著許多事、在公司的工作啦、日常生活啦都有點兒不容易。
那様的時候很多台湾人都親切地幫助我。
我好久去水源傳統市場的時候、有些老板叫我説、
「好久没看到呢!回去日本嗎?」
這様的會話譲我鼓起勇氣在台湾生活。

不用説、如果没有太太経常照顧我媽媽、在台湾的工作是不可能継続的。

留下來的是一串串的回憶。徐了遇到好同仁的工作以外
大聲加油的划龍舟、氣喘吁吁的爬山、有的時候自己一個人去的旅行等等。
這一切的一切都如走馬灯般 一幕幕地出現在眼前。
可是最高興的事是這三年的時間譲我変得非常喜歓台湾。
尉藍的海、険峻的山峰、以及台湾人的熱情
這些景象将永遠永遠的深印在我的脳海中永難忘壊。

我非常感謝這三年來在台湾度過。
在離別的時候、一股無名的感覚湧上心頭。但是有聚必有散只好接受。

原來對家人寫起來的這部blog己經超過400編、
但是我想回去日本的現在、就停到這裡。

我們或許在什麼地方會再踫面。
最後請譲我再次對大家表達我誠摯的謝意。
謝謝大家、謝謝台湾!

台湾便り 金門(3) 古寧頭、瓊林、風獅爺 [離島]

今朝は爽やかな青空です。天秤棒の両脇に大きな漏斗を抱えたお年寄りが、庭先の野菜畑に水やりをしていました。

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朝の冷たい空気を大きく吸いながら、民宿の裏手にある小高い丘の上まで登りました。家々から人が出て来て、街もそろそろ動きだします。

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燕尾の上で民家を守る龍。

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大きな音につられて頭上を見上げると、朝一番の立榮機が飛び立って行くところでした。

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散歩から戻ると、机の上にビニール袋に入った饅頭と麺線が置いてありました。羅さんは今日も朝から見かけません。月曜なのできっと子供たちを金城鎮の学校へ送って行ったのでしょう。宿には他に誰もおらず、何だか留守番を任されたみたいで妙な気分です。11時の飛行機で台北に行くと言っていたので、すれ違いですね。お礼の手紙を残しておきましょう。

さてバイクに乗って出発です。気温が低く冷たい風が頬を切ります。隣り町の歐厝(オゥツォ)を通り抜け、島の西北にある古寧頭(グゥニントゥ)地区に向かいました。

古寧頭の北山、南山

古寧頭の町の南にある門をくぐると、間もなく右の慈湖、左の海に挟まれた海岸道路を通ります。

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道路を横殴りに通り抜ける風のため、木々が斜めに伸びています。遠浅の海の向こうに小金門の島影が霞んで見えました。

古寧頭は山海の恵みと、遠浅の海によってもたらされる塩田に恵まれた豊かな村でした。雙鯉湖を挟んで向かい合う北山村と南山村の生活は、国共戦争によって大きく様変わりしました。

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今も砲弾の跡が生々しい洋館が残っています。

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北山町に一歩足を踏み入れると、軒を突き合わせた石造りの家々は、微妙に角度を変えて建ち並び、いつの間にか自分のやって来た方角がわからなくなって、時には洗濯物が干してある民家の中庭に突き当たったりしてしまいます。日向ぼっこをしているお年寄りに道を訪ねて、しばらくするとまた同じ人に出会う・・・そんな迷路のような路地を、郵便配達のバイクがスイスイと走って行きました。

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井戸の水を汲み、リヤカーを引く、そんな日々を送る生活・・・子供の頃を思い出させます。

瓊林

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古聚落には「祠堂」もしくは「祖厝」と呼ばれる祖先を祀る家廟が必ずあります。これは瓊林(チョンリン)の名家蔡氏の祠堂です。

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伝統建築の技法を使って真新しく家が修復されています。本島ではあまり手を付けられていない伝統家屋の修復保存が、馬祖や金門の離島で行われています。

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金湖鎮瓊林の静かな街並みからは想像しがたいのですが、住宅街の地下に延々と続く防空壕があります。どこまで続くか不安にかられながら、先の見えない狭い地下道を行くと突然階段が現れて、風獅爺の立っている町はずれの広場に出ました。

風獅爺

金門の古聚落や街道を行くと、時折石造りの獅子像を見かけます。これは風獅爺(フォンシイェ)と呼ばれる村の守り神です。装飾を排した素朴な石の彫像ですが、それぞれになかなか魅力的な表情をしています。

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洋山                           中蘭

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古崗                  西園1                  西園2

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金門城                 瓊林1                  瓊林2

宿に戻ると相変わらず誰もおらず、荷物を片付けてバイクの股に挟み(う~ん、台湾人になった!?)、地図を頼りにバイクを返しに行きました。奥さんが携帯で呼び出すと、眠そうな顔をした旦那さんがシャツをたくしあげて出て来て、空港まで送ってくれました。

思ったより見るところが多くてちょっと忙しい旅でしたが、週末は天気が崩れるという予報とは裏腹に、雨に会わずに済んだ二泊三日の旅で、金門の伝統的な閩南建築が今も残る集落を見、実際に寝泊まりすることができました。短い滞在ではありましたが、福建、金門、台湾本島と続く歴史の道を垣間見たような気がします。

台湾便り 金門(2) 翟山、金門城、水頭 [離島]

朝起きると外は強い風です。高い山を持たない金門は、この季節は強い風が吹きます。入口の間でしばらくのんびりしていると、羅さんが外帯(お持ち帰り)の廣東粥と焼餅を買ってきてくれました。昨晩、羅さんに「朝ごはんは何が食べたいですか?」と聞かれたので、これをお願いしていたのですが、ちゃっかり外のお店で買ってきたようです。羅さんには中学生の女の子を筆頭に三人のお子さんがいる上に、民宿をひとりで切り盛りしているので、いつも忙しそうに動き回っています。

バイクで出かけようとすると、「今日は珠山の資料館を見ていったら?中には入れるのは日曜だけだし、9:00には係の人が鍵を開けに来るから、もうすぐ見学できますよ」と教えてくれました。台北から来た女性も興味があるというので一緒に出かけました。胡蘆(瓢箪)の形に切り欠いた小窓のある門をくぐると、煉瓦作りの立派な二階建ての家が現れました。

展示されているものはあまり変哲のない日常品ですが、胸にバッジを付けた係の女性が親切に説明してくれました。

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左は石臼、右は熾した炭を中に入れて使うアイロンです。

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二階に上がって重たい木窓を開けると、珠山村の全貌が良く見渡せました。専門的な建築様式の言葉が良く分からずに戸惑った顔をしていると、一緒に行った女性が詳しく説明してくれるのですが、それでもやっぱり中国語なので今一つ十分には理解できませんでしたが、「3つの棟と門で囲まれた四合院は、正面奥に家長が住む母屋と祭壇の間があって、その左右両脇の棟は家を守るという意味で「護隴(フーロン)」と呼ばれています。一般的には母屋の切妻が燕のしっぽのように跳ね上がっている「燕尾」、護隴の切妻は馬の背中のように丸くなっている「馬背」になっています。正面に向かって並んだ棟の数によって、「二落」、「三落」と数えます。三落は少しお金持ちの人の家ですね。どの村にもあるため池は、雨が少ないからというわけではなく、風水の関係です。」と教えてくれました。

翟山坑道

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翟山(ザィサン)坑道は1961年から5年の歳月をかけて掘られた軍事要塞で、1998年から一般の人も見学することができるようになりました。薄暗い坑道に降りると海への出口から光が差し込み、繰り返す波の音だけが誰もいない洞内に響いていました。

金門城

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金門城は明朝の洪武20年(1387年)に江夏の周徳興によって築かれ、「金のように固く雄々しい海の門」という意味で金門と名付けられました。当時は東西南北にある城門を巡る城壁に囲まれていましたが、現在残っているのは東、南、北門です。


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歴史のある街らしく、村の中にはかつては立派だったであろうと想像させる廃屋が残っています。すぐ近くに金門酒蔵の工場があり、風に乗って高梁酒の香りが漂ってきます。工場に立ち寄って展示即売所に行くと、係のお兄さんたちが新聞を読みながら暇そうにしていました。陳年(長期熟成もの)で良いのがあれば買おうと思って尋ねると、「これは20年の特別ものだよ」とひと瓶6000元もするものを紹介してくれました。すると傍にいた女性が、「違うわよ、これは10年ものよ、いい加減ねぇ」と、いとも簡単に熟成期間を半分に値切ってしまいました。最初の男性は「えぇ、そうだっけ?」と悪びれる様子もありません。台湾式ですね。ま、どちらでもいいんですが、「試飲させてくれる?」と聞くと、「試飲はこっちのやつだけ」と、普通のスーパーで売っているやつを入れてくれました。とうことで高いやつは買わずじまい。

水頭古聚落

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ここは金門の観光案内によく出てくる「得月樓(デユェロゥ)」です。清朝末から民国初期の間、この村の人たちは南方との商売で財をなし、いくつかの洋館を建てました。得月樓はその中の一つですが、村を守るための物見台の役割も果たしています。また、これらの建物は地下道で結ばれているそうですが、生憎工事中で中を見ることはできませんでした。

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町中を歩いていると、バスケットのゴールポストがポツンとひとつだけ置いてありました。きっと子供たちの遊び場ですね。

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水頭の港は中国大陸への窓口で、小金門と結ぶフェリーに交じって福建省の泉州や廈門への船もここから発着しています。

金門の名産「包丁」

金門の名産と言えば、高梁酒、麺線、それに包丁です。ということで包丁を作っている工場を見学しました。

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材料は山ほどある砲弾の筒です。これをふいごで熱して、

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ハンマーで叩いて薄く伸ばし、鉄が柔らかいうちにカッターで形を整え、

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グラインダーで磨くと、中華包丁の下地が出来上がります。店のショーウィンドーに並ぶ包丁を見ているうちに私もつい欲しくなって、気に入ったものを一本買いました。

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今日は一日強い風の中をバイクで走り回り、身体が冷え切ってしまったので、夕食は金城鎮の食堂で火鍋を食べました。食事を終えて金門鎮公所前を通りかかると、珠浦路の古い街並みがうす明りの中にぼんやりと浮き上がっていました。

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宿に帰って熱いシャワーで温まり、写真を整理していると羅さんがケーキとビールを持って現われました。どうやら昨晩中庭で話していた時に、そろそろ誕生日だという話を覚えていて、忙しい合間を縫って買ってきてくれたようです。思いがけないプレゼントに「謝謝」です。


【お店の情報】
金合利鋼刀 金門縣893金寧郷伯玉路一段50-54號 TEL 082-326789
金永利鋼刀 金門縣893金寧郷伯玉路一段226號 TEL 082-322333
どちらも見学可能です。

台湾便り 金門(1) 珠山、馬山、山后 [離島]

この週末を利用して、金門を訪れました。この島では現在も伝統的な閩南(ミンナン)式住居が集落の形で残っています。空港について予約していた民宿に電話をかけると、おかみさんの羅さんが車で空港まで迎えに来てくれました。先ず羅さんの知り合いがやっているレンタルバイクショップへ案内してもらいました。バイクショップの奥さんは「珍しいねぇ、日本人一人で来て民宿に泊まるなんて。台湾人だって大抵団体ツアーで来るよ。中国語は大丈夫かい?」と少し心配顔でしたが、私がうっかり免許証を忘れてきたと言うと、こちらの方は「あぁ構わないよ」と、全く気にする様子がありません。羅さんの車の後ろに着いて走ること約10分、珠山(ズゥサン)の民宿に着きました。

珠山聚落

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この民宿の建物は、150年ほど前に建てられた閩南式建築です。

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正面の門を入るとすぐに、客を迎えるための小さな部屋があり、

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更にそこを抜けると、綺麗に手入れされた中庭に出ました。

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案内された部屋には簡単な家具と、一人旅のおじさんが泊まるにしてはちょっと可愛すぎるベッドが置いてありました。

荷物を部屋に置いて、早速バイクで町へ出かけました。

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金城(ジンチェン)鎮は金門で最も人口の多い街です。メインストリートの民族路を行くと、名産の「麺線」が路上で天日干しにされていました。

民族路を通り抜け、還島北路を一路島の北東端にある馬山観測所を目指して進みます。海岸からいきなり急勾配で高い山につながる台湾の他の離島と違って、平地の多い金門では、立派な道路が島を一直線に貫いています。

馬山観測所

かつて共産党と国民党の間で激戦が繰り広げられた金門には、各所に軍事基地があり、馬山観測所もその要所のひとつでした。

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長い坑道を通って海岸線のトーチカに出ると、霞む海の彼方に中国領の角嶼(ジャオユィ)が見えました。ここから対岸までは約2km、大型双眼鏡を覗くと磯釣りをしている人影さえ見ることができます。

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しばらく磯に佇んでいると、大陸から来た遊覧船が岸辺のすぐ近くまでやって来ました。こちら側の岸にいる台湾の観光客と何やら大声で叫びながら手を振っていました。今では政治上この島々の間に国境線が引かれていますが、本来同じ文化圏の人たちだったのですから当然のことですね。

山后民族文化村

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山后民(サンホゥ)族文化村には、閩南式の歴史的建築が保存されています。美しい曲線を描いて大空に伸びる「燕尾型」の屋根が印象的です。

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建物の間の細い道を歩いていると、それぞれの家屋には独特のレリーフや陶器の装飾が施され、

081213_12橋.jpg081213_13階段.jpg
時折こんな楽しい風景にも出会います。

さて、夕食は金城鎮の町の中心にある節孝坊のすぐ傍にある小吃店で採りました。

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地元名産のオア麺線・・・新竹のオア(牡蠣)に少し比べると小ぶりです。

宿に戻ると中庭でシンガポールから来た謝さんご夫婦と、民宿の羅さんが茶飲み話をしていて、私も誘ってくれました。天気予報では週末から天気が崩れるとのことでしたが、羅さん曰く台湾本土と違って冬は殆ど雨が降らず、空気が乾燥しているそうです。新竹に比べると緯度は多少南ですが、大陸に近いせいか夜はグンと冷え込みます。冬でも25℃くらい気候の温暖なシンガポールに住んでいる謝さんは、分厚いジャンパーを着ていてもまだ寒そうな様子でした。

【宿の情報】

珠山41号民宿(大夫亭) TEL 082-323468

台湾便り 新豐の廟會 [台湾の文化]

今日、工場の若い人たちと一緒に、会社の近くに夕食をしに行くと、いつもは静かな町が大変な賑わいでした。
そういえば昼間、お掃除のおばさんが、「あんた台湾のお祭り好きだろ?今日はこの近くで大きな祭りがあるから見に行ったら?うちの旦那も町内会の人たちと一緒に準備してたよ」と教えてくれたのを思い出しました。

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食堂のある新豐の老街には煌々と明かりが灯り、夜市に繰り出した人たちでごった返しています。

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普段何もない広場には、突如でっかい建物が出現し(裏から覗くと、実は張りぼてです)、人間と同じくらいの大きさの人形が、機械仕掛けで動いていました。

どうやらこのお祭りは「廟會」と呼ばれるもので、義民廟を祀るこの近辺の町村が持ち回りで開いていて、この場所に来るのは何年振りかのことだそうです。

20081210-10 鳳蓮宮.jpg
義民廟祭に登場するお馴染みの神豬も、電飾を一杯つけてきらびやかに勢揃いしていました。

でも折角頑張ってこんなに飾り付けたのに、祭りは一晩だけで終わってしまうそうで、何となくもったいない気もしますねぇ。



台湾便り 上島山・泰安温泉 [台湾の山]

今日は山仲間と「忘年登山+温泉+夕食会」ということで、苗栗縣泰安郷の上島山(シャンダオサン)に登って、泰安温泉に浸かって来ました。

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上島山への登山口は泰安温泉郷の一番奥にあります。12月ですが台湾の山はまだ緑がいっぱいです。山道を登っていると突然目の前に竹林が現れました。直径20cmもあろうかという立派な竹です。

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三時間近くかかってたどり着いた山頂からは、雲海の向こうに霞む山並みが見えました。

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昼食を終えて山道を下って来ると、地元の人たちが登山道を整備していました。つるはしで土をならし、間伐材を切って階段の土止めや支柱を作っています。大粒の汗を流しながら黙々と仕事をしていますが、急斜面なので作業は大変です。有難いことですね。

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麓近くに戻って来ると、泰安郷の家並みが目に入りました。日本では山登りの後に良く立ち寄り湯に入りましたが、台湾の登山では初めてで、期待に足取りも軽くなります。

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登山口まで下って来ると、雲間から色付いた林の上に聳える鳥嘴山の絶壁が見えました。


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さて、待望の温泉は、安藤忠雄さんが設計した「泰安静止温泉会館」で、落ち着いた雰囲気です。コンクリート打ちっぱなしのシンプルなデザインの建物を見て、冗談好きなD君は受付の女性に、「ねぇ、この建物はいつ完成するの?」と半分真顔で聞くと、受付の女性は少しキッとなって「もう完成しています!」と答えていました。

露店風呂には水着着用のものと、日本式のものと二種類ありました。もちろん、「水着を着るなんて温泉じゃない」と思っている私は、日本式に入りました。湯温は少し低めですが、それでも上弦の月を見ながらのんびり湯船に浸かっていると、一日山を歩いた疲れも癒されます。

食事を始める前、隊長のR君が突然立ち上がって、「もうすぐヒデさんの誕生日だから、皆でハッピーバースデーを歌いましょう」と祝ってくれました。レストランにいた他のお客さんたちは、一瞬何事かとこちらの方を振り向きましたが、R君が構わず、「はい、今度は皆さんも一緒に!」と音頭をとると、何と一斉に歌ってくれました。日本じゃ考えられないですけれど、皆さん乗りが良いのでビックリしました。やっぱり台湾ですねぇ。

【泰安静止温泉会館】 苗栗縣泰安郷錦水村圓敦58號 03-794-1951
http://www.papawaqa.com.tw/

台湾便り ギター演奏会 [アパートの暮らし]

今日はお隣りの交通大学で、大萩康司さんと福田進一さんのギターコンサートを聴いてきました。
第一部は大萩さんの独奏で、藤井敬吾、Brower、Ginastera の現代作品、第二部はガラッと趣向を変えて、福田さんとの二重奏で、スペインロマン派の、グラナドス、アルベニス、ファリャの作品でした。

福田さんは昨年の12月以来一年ぶり22回目、大萩さんは初めての台湾公演だそうですが、小さな会場で聴衆と距離が近いこともあってか、温かい雰囲気の演奏会でした。
久しぶりに美しい生のギターの音を楽しみました。

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演奏会が終わって、ロビーでサイン会。二人とも舞台のタキシードを着替えてカジュアルです。

台湾便り 夜明け [新竹]

台湾はこのところ良いお天気が続いて、

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今日も夜明けとともに

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雪山山脈の聖稜線がくっきりと現れました。

これから空気が冷え込む1月の末ぐらいまでは、この景色を楽しむことができます。


台湾便り 清華大学の成功湖 [新竹]

今日交通大学を散歩していたら、体育館とプールの間から清華大学へ抜ける小道があって、思いがけず成功湖の裏手に出ました。

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良く見ると、池の中ほどに立った杭の上に一羽の鳥が・・・。

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     しばらく見ていると、首筋を搔いたり

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             大あくびをしたり・・・。

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             この場所が気に入ったんでしょうか、すました顔をしてずっと立っていました。
             何て名前の鳥でしょうねぇ。

台湾便り 金山 [北部]

先日会社で台湾にも仏教のお寺があると聞いて、北海岸の金山に行きました。台北からバスに乗って約1時間半で、遠く海を見下ろす小高い丘にあるお寺「法鼓山」に着きました。入口に名札を付けたたくさんの人がいるので聞いてみると、今日は信徒さんの集会があるので建物の中は見学できないとの事で、きれいに整備された敷地の中と開山記念館を見学しました。

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ここに寺が開山されたのは僅か20年前で、建物も木造ではないので、仏教といっても我々日本人の持っているお寺のイメージとは随分違いますが、それでも普段見慣れている台湾の廟に比べると、落ち着いた雰囲気です。小一時間ほど見学して金山の町に下りました。

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金山の町の中心にある金包里老街は、うららかなお天気に誘われて大変な賑わいです。

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先ずは腹ごしらえ、慶安宮の廟口には調理場の前に色々なお皿が並べられて、ものすごい人でごった返しています。お客さんは次から次へと適当にお皿をもって外に出て行きますが、誰もお金を払っている様子がありません。一瞬廟のサービスかとも思いましたが、それにしてはちょっと料理が立派過ぎます。まかないのおばさんに「どこでお金払うの?」と聞くと、「あっち、あっち!」といって取り合ってくれません。仕方なく焼きそばと牡蠣の揚げ物を両手に持って、人ごみの中を同じようにお皿を抱えた人に付いてゆくと、しばらく先にある店の前でおばさんが「上行って、上!」と更に誘導です。結局三階まで上がって空いている席を見つけて食事を済ませ、そばにいたお兄さんに聞くと、「はい、180元」と、ジャラジャラ言わせた前掛けからお釣りをくれました。はぁ、そういうことだったんですか。何となくテキトーな感じがしますが、うまく機能してるんですね。

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さて、お店を冷やかしに・・・。こちらはしょうが湯の老舗「金包里本舗總店」。紅棗、桂圓、薑母(しょうが)を黒糖で固めたもの。冬場にこれを溶かして飲むと、身体が温まります。冷やかしのつもりが、つい買ってしまいました。

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こちらは落花生のお菓子です。左はおこしみたいなものですが、こうやって大きな塊を作ってから、包丁で切って行くんですね。右は「マァラオ」といって揚げ麩のような玉の外側に飴を塗り、その上に落花生、イモやカボチャ、ココナッツなどのフレークや胡麻をまぶします。駄菓子風ですが、これまたつまみ食いをしているうちに、つい買ってしまいました。

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金包里街の喧騒を離れて、獅頭山公園に向かいました。海に突き出た小高い丘に登ると、金山の磺港が見えました。港には陽明山の北側に源を発する磺溪が注ぎ込んでです。

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港と反対の南東側には、数キロの海を隔てて、野柳の岬が見えました。

もう12月になろうというのに、さすがに台湾は南国、少し坂道を歩くと汗ばみます。


台湾便り 南門街界隈 [新竹]

新竹には城隍廟を中心にして、放射状に東門街、南門街、西門街、北門街があります。今日は久しぶりに南門街界隈を歩いてみました。

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關帝廟は媽祖廟と並んで台湾で最も多いお寺です。先日まで行われていた改修が一段落して、全体に綺麗になりました。

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天井の梁の木組み「斗拱(ドゥゴン)」も奇麗にお色直しがされています。

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若者たちが通る文昌街との十字路には、昔ながらの煉瓦造りの家がありました。

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更に南に下った林森路の交差点には、先日行った大甲の芋頭酥直売店がありました。狭い店の中にオーブンがあって、いい匂いがしていたので、お店の人に「ここで作っているの?」と聞くと、生のものを大甲から送ってもらって、ここで焼き上げているのだそうです。

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外側がサクサク(酥)として、中はキメの細かい漉し芋餡です。甘さも控え目で、烏龍茶によく合いますね。

【お店の情報】
阿聡師先麥芋頭酥 新竹市南門街50號 TEL 03-523-5908

台湾便り 緑島 その(2) [離島]

朝6:00、目が覚めると空はどんよりと雲が垂れこめ、時折激しく雨が道路をたたきます。それでも島の天気は割と簡単に変わるので、雨具を着てバイクで出かけることにしました。

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緑島で一番長い大白沙の砂浜に着く頃には、遠くの空が少し明るくなり、天気の回復も期待できそうです。

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島の東南端にある「朝日温泉」は緑島の人気スポットのひとつです。雨にもめげずに若者たちがバイクでやってきていました。

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温泉の横手から「帆船鼻」に登ってみることにしました。海岸線で急峻に落ち込む火山岩の上に草が密生した丘陵で、海底から湧き出る朝日温泉の全貌が見渡せます。

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孔子岩の見える入江を過ぎる頃には、雲間から朝の光が射し、海が輝き始めました。

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海参坪から見える海岸線は、火山岩が波に洗われて数々の奇石を作りだし、緑島でも一、二を争う景観です。右は女性が寝ているように見える「睡美人岩」岸から離れた巨岩は「哈巴狗(北京犬)岩」と名付けられています。

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崖の先端から落ち込む絶壁の下は、深い緑を湛えた神秘的な水の色で、波が岩に砕ける白との対比が鮮やかです。

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島の東に面して風を避けるように馬蹄形の丘に囲まれた柚子湖は、漢人が移植した小さな村です。

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海岸まで降りて行くと、既に廃墟となった建物が緑の間に程良い間隔で並んでいました。かつて十数戸に住んでいた村人は、どんな生活をしていたのでしょうか。

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柚子湖にほど近い楠仔湖は海に突き出た海岸段丘で、広々とした草地が続きます。

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段丘の先端は大きく海に落ち込み、見下ろすとたくさんの山羊が三々五々草を食べていました。ここが台湾だと言われなければ、何やらイギリスの風景のようです。

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観音堂は丘の上にある鍾乳洞の中に作られた祠です。雨に穿たれた火山岩が複雑な洞窟を作り、その中に観音様が祀られています。

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将軍岩のある海岸は釣りのメッカです。足元を良く見るとテーブル珊瑚の死骸が死屍累々と続いていました。

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飛行場に向かう前、昨晩見つけた担仔麺のお店に入りました。担仔麺も新鮮な海の幸で作った鮮魚湯も都会のものに比べると量が多く、さすが漁師町だと感心しました。

飛行機が飛ぶか空模様を気にしながら、二泊三日の少し忙しい旅でしたが、南の島の美しい自然と素朴な人情を体験することができました。季節外れの一人旅もまた良いものです。

台湾便り 緑島 [離島]

蘭嶼から台東に戻って次の緑島行きの飛行機まで少し時間があったので、豐田駅近くの国立台湾史前文化博物館に行きました。

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この博物館は台湾で最初に作られた考古学博物館で、明るく広々とした館内には台東県の先史時代の文化が詳しく説明展示されています。

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民俗学的には台湾を起点とするオーストロネシア語圏は、フィリピンや遥かに南方諸島までも広がっていったというのが定説のようです。近代史の中では、大航海時代を経て清の時代に到るまで、台湾が「懸外の地」といわれて未開の地と見なされていたことを考えると、古代の台湾人が大海原に漕ぎ出して文化圏を拡大したというのは驚きです。

さて、緑島は面積15平方キロ程の島で、漢人が住むようになったのは1800年の初頭、清の時代からで、森林資源の獲得が目的でした。

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台東から同じ双発機に乗って、小雨の降る緑島に着いたのは夕方4:00過ぎでした。緑島への航路は蘭嶼航路と違って1000フィート程の低空で雲の下を飛ぶため、多少雨が降っても欠航しません。

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宿についてバイクを借り、夕暮前の灯台に出かけました。海岸線のすぐ傍にあるこの灯台は、1937年にこの近くで座礁したアメリカ客船の乗員を助けたとして、米国からの献金で建てられたものです。

秋の日暮は早く、あっという間に辺りは暗くなりました。蘭嶼に比べて台東から程近い緑島は、夏場はダイビング客も多く、コンビニや食堂もあって町も幾分開けています。

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夕食はそのうちの一軒「港式烤肉」のお店に入りました。客は私一人で親父さんも手持無沙汰な様子です。店先に吊るされた美味しそうな豚肉を50元ほどつまみに切ってもらい、ビールを飲みながらちょっと話をしました。元々夏場が掻き入れ時のダイビングですから、この季節は客があまり居ないのですが、この所の不景気で全体に商売は良くないようです。それでも親父さんは、時々ビンロウにやられた歯をみせて笑いながら、「没有辦法(ま、しょうがないわね)」と、あまり落ち込む風もありません。南国の島気質でしょうか。

台湾便り 蘭嶼 その(2) [離島]

朝一番に宿のある紅頭村を出て、島の中央にある気象観測所まで登りました。といってもバイクですが・・・。蘭嶼は紅頭村と野銀村を結ぶ中横公路から南の部分が細くなっていて、気象観測所のある高台からは両側の海が見渡せます。

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遠く目をやると軍艦島が見えます。第二次大戦中、まるで二隻の軍艦が並んだようなその姿に、米軍が誤爆したという話が残っています。

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測候所から急坂を下って行くと、足元に達悟(タオ)族の人たちが住む野銀村が見えました。

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村に入るとそこかしこにブタやニワトリ、犬や山羊などがいました。野銀村では今でも「バウイ」と呼ばれる達悟族の伝統的な住居に住んでいる人たちがいます。バウイは石垣に囲まれた半地下式の堅穴住居になっていますが、強い風と日差しを避ける生活の知恵でしょうか。

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阿美(アメイ)、排灣(パイワン)、魯凱(ルカイ)などの原住民の間では、鷲の羽根は部族を守る勇気と智慧を表す象徴です。「邀翔穹蒼(大空を自由に飛翔する)と名付けられたこの彫刻は、野銀村の小学校の入口で海に向かってしっかりと立ち、風に髪をたなびかせながら大空を仰いでいました。

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開元の港にはフェリーが停泊していました。バイクを降りて船を見ていると、キャビンで暇そうにしていた船長さんがデッキに出て来ました。

   「船に乗るのかい?」
   「いえ、ちょっとバイクで島を回ってるだけですけど。いつ出港ですか?」
   「明日の午後二時だよ。」
   「緑島に寄って行くんですか?」
   「いいや、直接台東に行く」

船腹には、富岡(台東)-緑島-蘭嶼と書いてあるのですが、どうやら緑島へは寄らないようです。

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椰油村に小さな造船所があったので、入口近くの小屋でビンロウを売っているおばさんに言って、中を見せてもらいました。達悟族独特の彩色模様で飾られた「タタラ」と呼ばれる丸木船です。この船でトビウオなどの漁をして生計をたてています。一昨年、この手漕ぎ舟「イパンガナ號」に乗って、蘭嶼から台北までの航海があったのを覚えています。

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野銀村と椰油村の小さな教会。台湾の少数民族の多くは、キリスト教によって迫害から庇護された歴史を持っています。

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村の近くにはタロイモの畑が広がっています。この地方の人たちの主食です。

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今日は日曜ですが、椰油小学校では子供たちが遊んでいました。中国式のコマ回しで遊ぶ子と、教室の窓に貼られたスーパーマンのシール。どこの国でも彼は子供たちのヒーローです。

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大きな木の下で・・・豊かな自然に囲まれて育った子供たちは、どんな思いを心に刻むでしょう。

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漁人村の公民館では、「傳統母語歌謡比賽(達悟語を使ったのど自慢)」が開かれていました。近頃プロまがいの舞台度胸を見せる日本の子供たちと違って、出場者は皆一様に人前で歌う恥じらいを見せ、会場の中は犬や子供が走り回り、外ではお年寄りが歌に関係なく世間話に花を咲かせるという、何とも素朴なイベントです。

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真夏のような強い日差しを浴びた海は、昨日とは打って変わって深い蒼色をたたえていました。

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五孔洞は海水の浸食で穿たれた大きな洞窟で、天井から水が滴り落ちる5つの洞窟は中でつながっています。かつてこの場所は達悟族の人たちから「凶悪な魂の巣」と恐れられ、女性や子供たちは立ち入ることを禁じられていました。現在は「蘭嶼區會祷告営地」と書かれた祈祷所があります。

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海岸線を南に向かうと、山の裾野から煙が立ち上るのが見えました。焼き畑です。

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山と海に挟まれた猫の額ほどの畑と、小舟での漁・・・そこには素朴な生活の営みがありました。


台湾便り 太平洋に浮かぶ島 蘭嶼・緑島 [離島]

この週末を利用して蘭嶼(ランユィ)と緑島(リュィダォ)に行ってきました。どちらの島もサンゴ礁に囲まれて、素晴らしいスキューバダイビングスポットがあることで知られています。もう11月も半ばになるとちょっと季節外れですが、閑期の静かな旅もいいかと出かけました。

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台北の松山空港を飛び立ち、鳥石鼻から東海岸に出ると、眼下に紺碧の太平洋が見えました。

新竹もこの所少し気温が下がって来ましたが、台東空港に降りると11月も半ばだというのにムッとする暑さです。ここで16人乗りの双発機「Dornier228」に乗り換えて蘭嶼に向かいます。空港ビルの二階でぼんやり外の景色を見ながら待っていましたが、出発時刻の10:30になっても一向に搭乗手続きが始まりません。天候の回復を待っているので、出発が遅れるとのアナウンスです。台東は晴れているのに、南東にたった80km弱しか離れていない蘭嶼は雨が降っていて、有視界飛行の小型機は飛ぶことができません。結局40分ほど待ったあげくに欠航となりました。

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仕方なくキャンセル待ちのリストに名前を書きましたが、次の便は満席で、午後1:30の飛行機にかろうじて乗れました。待っていた人たちも飛行機が飛んで思わずバンザイです。

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緑島の上空をかすめ、蘭嶼の西端を大きく南に回り込んで、蘭嶼空港に着陸しました。

宿についてバイクを借りて出かけることにしました。旅先で気ままに移動するには、何といってもバイクが便利です。先日、台北で日本の免許を台湾用に書き換えてきましたが、何のことはない何も聞かれずに「400元です」と言われて、バイクのお店に連れて行かれました。一通り説明を受けて、「ところでヘルメットは?」と聞くと、「あ、そんなの要らないです」とそっけない。「危ないから私は被るんです」というと、シートをパカッとあけて見せてくれたけれど、それでもまだ「暑いから入れといたら?」と怪訝な顔つきです。確かに、飛行機で一緒になった若い四人組の女性たちも、ヘルメットを着けずにさっさと二人乗りで出かけました。

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早速、島の西北端にある蘭嶼灯台に行ってみることにしました。

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上り坂の入口でいきなり山羊の群れに出くわしました。山羊にとって人間やバイクの方が怖いのでしょうが、これだけたくさんいてじっと警戒されると、こちらの方が怯んでしまいます。

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蘭嶼は周囲約40kmですが最高地点は標高552mあり、海岸線から一気に山が盛り上がっていて、まるで台湾本島の縮図のようです。

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蘭嶼は火山活動によって出来た島で、火成岩の岩礁に波が当たって複雑な形を作り、

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切り立った尖塔や雙獅岩など、その形に合わせて個性的な名前が付けられています。

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日が傾くにつれて次第に風が強くなり、波しぶきが霧となって海岸道路に降り注いできました。

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息を切らせながら獅子角の舳先まで登ると、ちょうど東清、野銀の集落の向こうに夕日が沈んで行くところでした。

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宿のお兄さんに近くに食堂がないか尋ねると、ベンチで夕涼みしていた女性陣のひとりに声をかけて、すぐ隣の食堂に連れて行ってくれました。さしてたくさんメニューがあるわけではありませんが、「飛魚定食」を頂くことにしました。簡素な食事ですが、この辺りは飛魚が良く採れる所で、美味しい一夜干しでした。右は名前の分からない貝。岩にへばりついているような1cmくらいの貝ですが、磯の香りが香ばしく、酢醤油のような出汁に良く合います。海藻はワカメと寒天の相の子のようで、台湾の人がいわゆる”Q”という食感です。

冬場の平日で宿泊客は殆どおらず、夕食を終えて店から出て来ると、宿の人たちも近所の人たちと一緒に、海岸通りで何やら宴会らしきものをしていました。本島では普段の食事中にあまりお酒を飲みませんが、どうやら蘭嶼では一日の仕事を終えると女性も交えて一杯やりながら、話に花を咲かせるのが皆さんの日課のようです。

明日はゆっくり島を回ってみようと思います。

1台湾便り 台北駅地下 [台北]

今日お昼過ぎに新幹線に乗ろうと、台北駅の地下道を西口の方から歩いていたら、ポスターの宣伝がありました。

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暗い通路のそこだけが、スポットライトを浴びた華やかさ。

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いつもは人通りのまばらな通路ですが、機会があったら立ち止まってみて下さい。

台湾便り 台中 [中西部]

大甲媽祖廟のお参りを済ませた後、台中に足を伸ばすことにしました。西部幹線海線の大甲から山線の台中へ電車で行くには、一旦彰化まで下ってから北行きに乗り換えて引き返さねばならず、乗り継ぎが不便なので、バスを利用することにしました。

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光明路に面した巨業客運のバスターミナルで係の人にバスの時刻を尋ねると、「10分おきぐらいに出ているから大丈夫」と教えてくれましたが、その話が終わる間もなくバスがやって来ました。

さて、台中までは清水、沙鹿の町を経由して約1時間で着きました。午後2時近くになってしまったので、「先ず腹ごしらえをしなければ」と、豬脚の人気店「阿水獅豬脚大王」に向かいました。成功路から自由路に入って台中公園方面に進むと・・・ありました、ありました。真新しいHoliday Inn手前の雑居ビルの中に、赤く目立つ大きな看板が目にとまります。

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ところが、何と店の前に行くとシャッターが下りていて、「引っ越しました」との張り紙がしてあるではありませんか。

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仕方がないので再び台中駅の方に戻り、適当な小吃店を探していると、典型的な台湾風の小吃店がありました。とりあえずこちらでエネルギー補給です。

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台中公園は市民の憩いの場として親しまれている緑いっぱいの広々とした公園です。

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日本統治時代に整備されていて、今でもその面影を見ることができます。

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公園のすぐ隣、市府路の一角に観光玉市の大きな市場があります。なかなか面白そうですが、私には見立てが分からないし言葉のハンデもあるので、まだまだこういう所はひとりで買う自信がありません。そういえば、この間板橋に行った時、太太は玉の細工物を売っている店のおばさんに果敢に挑戦してたなぁ。やっぱり、度胸ですかね。

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大正13(1924)年に建てられた市政府を訪れ、老舗の一福堂で凰梨酥のお土産を買い、

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日本料理屋のあるアーケードを通り抜けて、

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台中駅に着きました。駅舎は3年前に改修が行われ、大正6(1917)年当時の姿が復元されました。

大甲で急に思い立って足を伸ばしたので、台中は駆け足でした。台中は台湾の茶芸館ブームが始まった所だそうです。一度ゆっくりお茶でも飲んでみたいと思います。

台湾便り 大甲媽祖廟(鎮瀾宮) [中西部]

今年ももう11月に入りました。今月末で台湾に来てから丁度3年になります。これまでの無事を感謝して、大甲(ダァジァ)の媽祖廟にお参りに行くことにしました。媽祖廟は關帝廟と並んで、台湾で最も信仰されている神様ですが、中でも大甲の鎮瀾宮は、北港や鹿港と並んで歴史が古く、台湾を代表する媽祖廟です。

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新竹からに電車に乗って南下し竹南の駅を過ぎると、西部幹線は「海線」と「山線」に分かれ、彰化で再び合流します。大甲は海線にあります。

電車に乗ると、私の席の通路を挟んだ反対側に、5歳くらいの男の子とお爺さんが座っていました。しばらくして弁当売りの人が来るとお爺さんが呼び止め、少し迷ってから豆菓子をひと袋買いました。お爺さんが袋を開けると、その子はその袋を抱えたまま、通路に立つ大人たちをかき分けて、斜め前の席でお婆さんに抱っこされている女の子の所にお菓子を持って行きました。どうやら自分より先に妹にあげようとしたようです。二人はニコニコしながら、小さな手で仲良く豆菓子をつまみ始めました。
戦後、皆が貧しく物がない時代、分け合うことが当たり前でした。物に充ちあふれる今、人々は益々物を独占したがるようになってきたように思います。


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さて、大甲の駅を出て中華路を鎮瀾宮へ向かいます。土曜のお昼時、お天気も良く、人出も賑やかです。

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お祭りの定番「糖ふうろ」や、名産の「大甲芋」も並んでいます。

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順天路を右に曲がると、ほどなく鎮瀾宮に着きました。建物は清朝の雍正年間に建てられたもので、200 年以上の歴史をもっています。

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廟前の広場では、交通安全の祈願をしていました。日本ではお宮さんなどで神主が祝詞をあげてくれますが、こちらではちゃんちゃんこを着たおじさんが、何やら呟きながら燃やした金札の煙で車の周りをいぶして行きます。

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屋根には様々な人形が置かれています。きっとそれぞれに媽祖にまつわる話の場面を表しているのでしょうね。

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門を入ると中は参拝の人でごった返していました。

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お供えの金札がうず高く積まれています。私も並び居るたくさんの神様にお線香をあげました。

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廟の内部は精巧な石彫や木彫で飾られています。


少しゆったりとお参りを済ませて廟を出ると、外はカンカン照りで汗ばむ陽気でした。
台中に向かいます。

『大甲鎮瀾宮』 台中縣大甲鎮順天路158號
旧暦 3 月 23 日の媽祖の誕生日前後には、 “媽祖遶境進香”の盛大な祭りが催され、御本尊の媽祖像が、7 泊 8 日をかけて北港の奉天宮との間を往復します。

台湾便り 貴妃茶 [お茶の時間]

先日職場の山仲間と台湾産のアッサム紅茶「台湾十八號」の話をしていたら、そばでこの話を小耳にはさんだお嬢さんが、鹿谷(ルゥグゥ)にある友人の茶園から分けてもらった、「金萱茶(台湾十二號)」と「貴妃(グイフェイ)茶」を飲んでみてくださいと持ってきてくれました。

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貴妃茶は割合最近出てきたお茶です。台湾茶の名産地である南投縣鹿谷郷は、1999年の台湾中部の大地震で甚大な被害を受け、多くの茶農園が肥料や殺虫剤を与えることができなかったため、収穫時期に大量の緑羽セミが発生しましたが、この虫が齧った茶葉から蜂蜜のような香りがするのが偶然見つかりました。これは英国に輸出する船の中でウンカが発生し、同じようにして生まれた東方美人茶と経緯が良く似ていますね。

さて、泡茶をしてみましょう。

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封を切ると少し強い焙煎の香りがします。茶色がかった濃いめの茶葉がかなり固く締まっているので、時間は少し長めです。
一泡、二泡、三泡と重ねるうちに、湯色の黄金色が濃くなり、甘みと焙煎の香りがバランスしてきます。

ちなみに、貴妃の名は「楊貴妃」から来ています。中国大陸にも同じ名前の「貴妃茶」がありますが、こちらは烏龍茶に楊貴妃が好んだライチの香り付けをしているのでこの名前が付けられていて、台湾の貴妃茶とは異なります。

Wiesbaden (2) [番外]

昨日までの会議が終わって今日帰国します。飛行機の出発まで少し時間があったので、早朝の Wiesbaden(ヴィースバーデン) 市街を散策しました。

ドイツ中央西部、北上するライン河がその流れを大きく西に変える Rheingau(ラインガウ)の対岸に、2000年の歴史を持つヘッセンの州都 Wiesbaden の町があります。紀元40年にローマ人によって軍事上の拠点として発展を遂げたこの町は、19世紀後半のプロイセン時代に、数々の建築や交通が整備され、近代的な大都市に変貌しました。

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Bahnhof 通りに面した建物。19世紀中頃の建物と最近の建物が混在していますが、町の景観を保つためファサードが統一されています。

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Wiesbaden の Hauptbahnhof(中央駅)。駅舎は1906年に高さ40mの塔を配したネオ・バロック様式で建てられました。

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ライン川と支流のマイン川に挟まれた Wiesbaden は交通の要所で、Frankfurt や Koln(ケルン) など、周辺各地に向かう鉄路のターミナルにもなっています。ホームには Bayern州、Aschaffenburg 行きの電車が停車していました。こちらの鉄道車両は形や色のデザインが素晴らしく、秋枯れの景色の中を走ると実に色が映えます。

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Warmer Damm 公園の一角にある Hessisches Staatstheater(ヘッセン州立劇場)。 1894年の Wilihelm II 皇帝時代に建てられました。

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Kurhaus(1907年)。イオニア式柱廊の上部に刻まれた "AQUIS MATTIACIS" は、ローマ人が呼んだこの地の地名 "マティアカの泉" に因んでいます。エンブレムは百合の花をあしらった Wiesbaden 市の紋章です。中はカジノになっていて、夕暮時には正装した紳士淑女が集まって来ます。

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Kochbrunnen(コッホ噴水)。15の源泉が集まる井戸で、70度近いお湯が湧き出しています。

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旧市街の中心部 Merktbrunnen 広場にある Marktkirche(マルクト教会)。1852年から10年の歳月をかけて建てられたネオ・ゴシック様式の教会です。高さ92mの尖塔が、青空に鋭い切っ先を向けていました。

第二次大戦中もかろうじて破壊を最小限にとどめた旧都は、落ち着いた佇まいを見せていました。
秋を迎えてもう随分と冷え込む街並みを散策した後、中央駅からNassau 行きの電車に乗って Frankfurt 空港に向かいました。

Wiesbaden (1) [番外]

成田から12時間のフライトを経て着いた Wiesbaden は、雲がどんよりと垂れこめ、時々小雨がパラついています。日本時間では夜中の2時ですが、時差を解消するために夕暮れの街を少し歩きました。

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公園のプラタナスは色付いた葉を落とし、

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Luisen 通りに面した St.Bonifatius 教会の鐘の音が、夕暮れの町に響きわたります。

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気温もぐっと下がり、町の目抜き通り Langgasse を行く人々も、足早に家路につきます。

1年ぶりに訪れた Hesse (ヘッセン) の旧都は、もうすっかり秋の気配です。

台湾便り 米粉と啤酒(ビール) [台湾の食べ物]

台湾一と言われるだけあって、新竹の町中には城隍廟を始めとして、美味しい米粉を食べさせてくれるお店がたくさんあります。
が、問題は、この手の小吃店にはビールが置いてないこと。美味しい米粉を食べながら、喉を潤すことはできないものかと、ビールのありそうなお店を思い浮かべてみましたが・・・何のことはない、自分で作ればいいんですね。

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アパートの近くにある「來來小吃」のお店の前に、うず高く積まれた手提げ袋入りのやつを買ってきました。28玉入り120元、安い!

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                               野菜や肉などの材料を適当に刻んで、

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さっと湯がいた米粉と合わせて炒め、調味料で味を整えます。 ついでに花枝(イカ)貢丸湯も添えてみました。

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自作米粉はお店のに比べるとちょっと薄味だったけど、台湾啤酒に免じてまぁ良しとしましょう(プハァ)。次回は沙茶醤を加えてみましょうかね。

台湾便り Christophe Boulier 演奏会 [アパートの暮らし]

今宵はChristophe Boulier さんのバイオリン演奏会を聴いてきました。

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プログラムは Paganini の Caprices 選集と Saint-Saens、それにYsayeの作品でした。
ポスターには「ヤッシャ・ハイフェッツの再来」とありますが・・・。1984年にLong-ThibaudコンクールでGrand-Prixを受賞した19歳の青年は、それから20余年の月日を経て円熟味を増し、超絶技巧曲をものともせず、バイオリンの奏でる音は、ピアノが彩る空間を自由奔放に飛び交っていました。

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演奏会の後は、台湾恒例のサイン会でした。ピアノ伴奏のAgathe Lavaudさんと。

台湾便り 泡烏龍茶 [お茶の時間]

昨日台北に出たついでに有記名茶に寄りました。いつもは町の朝市で「阿里山茶もどき」を買ってお茶を濁していますが、ちょっと美味しい烏龍茶を飲みたい時や、人に贈る時などはできるだけしっかりしたお店で買うことにしています。「有記名茶」は創業1890年の老舗ですが、ご主人の王さんがとても気さくで、親切に説明しながら色んなお茶を飲ませてくれるので気に入っています。

お店に入ると、王さんのお嬢さんが丁寧に対応してくれました。いくつか茶葉を選んで、さて淹れてもらおうとしていると、ご主人が寄って来て、
   「ところで、南管って知ってます?」
というので、
   「はい、王心心さんの表演や南管劇を何回か観に行ったことがありますよ。」
というと、嬉しそうな顔をして、
   「それじゃお茶は後にして二階に行きましょう」
と、腕も引っ張らんばかりに誘ってくれました。お茶の準備をしていたお嬢さんも、呆気にとられてきょとんとしています。

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二階に上がると一段高くなった舞台で、南管の演奏をしていました。中央に拍板と朗誦をする歌い手、楽器は左から三弦、琵琶、洞簫(ドンシャオ:縦笛)と胡弓(二弦)の簡素なものです。伝統を受け継ぐ人が少なく、洞簫を演奏している方は98歳のご高齢だそうです。
   「南管は好きですか?」
と王さんに聞かれ、
   「詩が閩南語なのでティャボー(意味は分かりません)ですけど、音楽の雰囲気が好きです」
というと、
   「やぁ、それでいいんですよ。私らだって全部が分かるわけじゃないですから」
と屈託のない笑顔で答えてくれました。毎週土曜の午後2:00-5:00に演奏をしているそうです。

さて肝心のお茶のほうですが、文山包種茶(清茶)と奇種烏龍茶を求めました。文山包種茶は台湾茶発祥の地である台北市南部の文山区でとれた清茶で、発酵度が10%以下と低く緑茶に近い感じの爽やかな香りです。奇種烏龍茶は文山包種茶と同じ茶葉を、福建省の武夷岩茶を作る古来の製法で焙煎したものです。

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さて、今日は奇種烏龍茶を淹れてみました。封を切ると馥郁とした香りがします。包種茶に比べると、少し茶色が勝っています。

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ほんのり淡い蜂蜜のような香りのする一泡から、二泡、三泡と重ねるごとに湯色は深みを増し、それと共に少しずつ渋さの重みが増して来ます。面白いですねぇ。日本ではお茶請けは和菓子が多いですが、烏龍茶の時は花梅や金柑などが良く合います。オレンジ色のは良く見かける普通のもの、黒いのは若い時に採って燻製にした烏梅に似たものです。

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値が張るものでなくても、簡単な道具があれば、美味しい烏龍茶が楽しめます。皆さんも試してみてはいかがでしょう。

【お店の情報】
『有記名茶』 台北市重慶北路二段64巷26號 TEL 02-2555-9164
圓環から重慶北路を少し北に歩き、朝陽茶葉公園を左折するとすぐ左にあります。
日曜はお休み、夜は8時まで

台湾便り 台北散歩(2) 芝山巌 [台北]

捷運(地下鉄)の芝山駅を出て福國路を東に進み、忠誠公園の脇を通り抜けると、正面に芝山巌のこんもりとした森が現れます。ここには第二次大戦前まで「芝山巌神社」があって、台湾の教育に殉じた多くの日本人が祀られていました。歴史を紐解くには明治時代まで遡らねばなりません。

1895年に台湾で日本の統治が始まると、当時文部省の学務部長心得だった伊沢修二は、教育が最優先課題のひとつであるとして、日本全国から集めた志ある若者を連れて台湾へ渡り、「芝山巌学堂」という学校を設立しました。教師は、楫取道明 (38歳) 、関口長太郎 (37歳)、中島長吉 (25歳)、桂金太郎 (27歳)、井原順之助 (23歳)、平井数馬 (17歳) の6名でした。

熱心な授業が次第に地元の人たちに受け入れられて行く一方で、日本の統治に強く反対する人たちによる暴動が起こり、1896年の元旦に全員が抗日運動の標的となって殺されるという痛ましい事件が起きました。

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芝山巌の北側にある聖佑宮から、大葉雀榕が欝蒼と葉を茂らせる森の中の石段を登って北門を抜けると

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やがて恵斎宮に到ります。

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台湾の廟で神道の御神体である鏡が祭壇に置かれることは普通考えられず、かつてここが神社であったことを偲ばせます。

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恵斎宮からリスが遊ぶ緑深い森をしばらく東に向かって進むと、左手の少し開けた場所に「六氏先生の墓」がありました。墓石が真新しいのは、日本の敗戦によって元の墓石が神社とともに破壊され、1995年に再び士林小学校卒業生有志によって再建されたためです。

基隆や高雄の築港、台北の下水道整備、台南の灌漑ダム、全島を巡る鉄道などの建設事業とともに、台湾大学の設立に代表される教育の整備など、明治中期から昭和にかけて、多くの日本人が台湾に足跡を残しました。他民族を治めるということに正統性を見出すことはできませんが、100年前、20代、30代の若者が、どんな気持ちでこの国の礎の構築にエネルギーを注いだのだろうかと、苔むした森の道を歩きながらそんなことを考えました。

台湾便り 台北散歩(1) 林安泰古厝 [台北]

「林安泰古厝」は現在台北に残っている最も古い建物です。福建省安溪縣泉州府から台湾に渡来してきた林家が、清朝の乾隆48(1783年)に建てた四合院形式の建物で、華麗さはありませんが建物の配置がバランス良く、また煉瓦や石材、欄間の彫刻など精緻な手工の粋が生かされています。

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濱江街に面した門を入ると、一面に花の咲いた庭の向こうに、秀麗な曲線の屋根と赤煉瓦の壁が見えます。

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花瓶や果物の彫刻が施された凹巣三川門をくぐると、中国建築独特の木組み「斗拱(ドゥゴン)」が目に入ります。

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外から見ると建物が随分大きく見えましたが、中庭は意外とこじんまりしています。

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見上げると屋根が緩やかな燕尾曲線を描いています。

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正廳にある祭壇の左右に掲げられた対句の頭文字「安」「泰」は、それぞれ林氏の故郷である「安溪縣」と、成功した家業「榮泰行」に因んでいて、ここから「林安泰」の名前が付けられました。

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安泰邸を建てた林志能の長男、第十九代林先平と葉氏月のご夫婦の額が飾られていました。

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可愛い子供の靴や奇麗に刺繍された女性の布靴なども展示されています。

林安泰古厝は1985年に台北市が整備して、かなり良い保存状態を保っています。閩南式の建築に興味がある方は一度訪ねてみてはいかがでしょう。

『林安泰古厝』 台北市濱江街五號 TEL 02-2592-6419

台湾便り 台湾の森林~水彩画展 [台湾の文化]

今日10月10日は台湾の「国慶節」で祭日です。お向かいの交通大学芸術文化空間で、丁度今開かれている水彩画展を観てきました。

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気に入った絵が何枚かあったので、画集を買いました。

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森に分け入る射光。

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台湾の森は深く、苔むしています。場所は違いますが、そのままの雰囲気です。

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福山植物園の湖畔を巡る遊歩道。

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これはきっと同じ場所ですね。

台湾に来てから時々山歩きをしていますが、展示された絵を見ていると、まるでその中に佇んでいるような錯覚に陥ります。


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外に出て上を見上げると、青空にポッカリ浮かぶ白いお月さま。

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鴨がねぐらに向かう頃には、

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竹湖畔の遊歩道はもうすっかり影となって、

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学びの宿の煌々とした明りが、ステンレスのモニュメントに映し出されています。

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見上げると、月は暗くなった夜空に、ひときわその輝きを増していました。

秋の夕日はつるべ落とし、あっという間の日暮れです。

台湾便り 高鐵 [新竹]

今日台北へ出かけるのに、新竹から高鐵(新幹線)に乗りました。料金は290元です。小銭がなかったので自動販売機に1000元を入れたら、しばらくしてお釣りがジャラジャラ・・・ジャラジャラ・・・ジャラ・・・50元硬貨が14枚と10元が一枚?!
スロットマシンじゃあるまいし、やめて欲しいなぁ。小金持ちになった気分にはなりますが、重たくってしょうがない。

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急いで電車に乗りたい時、窓口の切符売り場はいつも混んでいるので、自動券売機が便利なのですが、在来線のはお札が使えないし、新幹線のお釣りはコインだし、もうちょっと利用者のことを考えて欲しいですねぇ。

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駅前には、不動産投資を当て込んで立派なアパートが建ち始めていますが、供給過剰とこのところの景気低迷で、空き家が目立つとのことです。

台湾便り 十八尖山 [新竹]

私の住んでいるアパートから自転車に乗って、すぐ裏手の清華大学のキャンパスを通り抜け、10分ほど走ると十八尖山の麓に着きます。

新竹市の南に位置する十八尖山は、標高100m程の小高い丘で、日本でも見かけるアカシア(相思樹)やクスノキ(樟樹)、カエデ(楓香)、木麻黄などに交じって、南国ならではの大王椰子や鳳凰樹、印度紫檀など、様々な樹木が欝蒼と葉を茂らせています。これらの樹木のお蔭で、南国であるにも関わらず、涼しい木陰の散歩を楽しめます。

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これは鳳凰樹の葉、下から見上げるとその名の通りまるで孔雀の羽根のようですね。

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春先には枝いっぱいに紅色の花が咲きますが、今はまるで短冊のように大きな実をぶら下げています。

遊歩道の脇には色とりどりの花が咲いていました。

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繁星花(クササンタンカ 草山丹花)と松葉ボタン

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ちょっと名前が分かりません

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ハイビスカスと羊蹄甲(フイリソシンカ)

たくさんの小鳥やリスの住み家にもなっている十八尖山は、週末は散策を楽しむ人たちで賑わいます。

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