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台湾便り 金山 [北部]

先日会社で台湾にも仏教のお寺があると聞いて、北海岸の金山に行きました。台北からバスに乗って約1時間半で、遠く海を見下ろす小高い丘にあるお寺「法鼓山」に着きました。入口に名札を付けたたくさんの人がいるので聞いてみると、今日は信徒さんの集会があるので建物の中は見学できないとの事で、きれいに整備された敷地の中と開山記念館を見学しました。

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ここに寺が開山されたのは僅か20年前で、建物も木造ではないので、仏教といっても我々日本人の持っているお寺のイメージとは随分違いますが、それでも普段見慣れている台湾の廟に比べると、落ち着いた雰囲気です。小一時間ほど見学して金山の町に下りました。

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金山の町の中心にある金包里老街は、うららかなお天気に誘われて大変な賑わいです。

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先ずは腹ごしらえ、慶安宮の廟口には調理場の前に色々なお皿が並べられて、ものすごい人でごった返しています。お客さんは次から次へと適当にお皿をもって外に出て行きますが、誰もお金を払っている様子がありません。一瞬廟のサービスかとも思いましたが、それにしてはちょっと料理が立派過ぎます。まかないのおばさんに「どこでお金払うの?」と聞くと、「あっち、あっち!」といって取り合ってくれません。仕方なく焼きそばと牡蠣の揚げ物を両手に持って、人ごみの中を同じようにお皿を抱えた人に付いてゆくと、しばらく先にある店の前でおばさんが「上行って、上!」と更に誘導です。結局三階まで上がって空いている席を見つけて食事を済ませ、そばにいたお兄さんに聞くと、「はい、180元」と、ジャラジャラ言わせた前掛けからお釣りをくれました。はぁ、そういうことだったんですか。何となくテキトーな感じがしますが、うまく機能してるんですね。

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さて、お店を冷やかしに・・・。こちらはしょうが湯の老舗「金包里本舗總店」。紅棗、桂圓、薑母(しょうが)を黒糖で固めたもの。冬場にこれを溶かして飲むと、身体が温まります。冷やかしのつもりが、つい買ってしまいました。

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こちらは落花生のお菓子です。左はおこしみたいなものですが、こうやって大きな塊を作ってから、包丁で切って行くんですね。右は「マァラオ」といって揚げ麩のような玉の外側に飴を塗り、その上に落花生、イモやカボチャ、ココナッツなどのフレークや胡麻をまぶします。駄菓子風ですが、これまたつまみ食いをしているうちに、つい買ってしまいました。

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金包里街の喧騒を離れて、獅頭山公園に向かいました。海に突き出た小高い丘に登ると、金山の磺港が見えました。港には陽明山の北側に源を発する磺溪が注ぎ込んでです。

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港と反対の南東側には、数キロの海を隔てて、野柳の岬が見えました。

もう12月になろうというのに、さすがに台湾は南国、少し坂道を歩くと汗ばみます。


台湾便り 九份・野柳 [北部]

出張で来るといつもは空港、ホテル、会社だけを行き来して、仕事が終われば慌しく帰国する海外の仲間に、帰国前の土曜の半日を割いてもらって台湾の片鱗を紹介しようと、台北から便利な九份と野柳を案内することにしました。

三芝で育ってこのあたりに詳しいR君が、面白い甘味屋さんがあるというので皆で一緒について行きました。基山街の階段を上り詰めて、「疲れたからもういいや」という所を、もうひとふんばりして最後の階段を上ると九份國小の門に突き当たり、その右手にこのお店があります。九份名物、芋圓(練り芋甘味)のお店です。

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小雨が降っているにも拘らず、狭い間口にはお客さんがズラリと並んでいました。

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台湾便り 烏來温泉郷 [北部]

この週末、太太と一緒に烏來温泉へ、のんびり一泊旅行に出かけました。雑誌やインターネットで色々探した結果、泰雅族の人が経営する民宿が面白そうだったのですが、何度電話をかけても連絡が取れず、結局、日本式(水着不要)の大風呂がある旅館に泊まることにしました。

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この旅館の部屋には檜風呂があって、24時間いつでもお湯を張ってくれます。これもこの宿を選んだ大きな理由のひとつです。先ずはひと風呂浴びてのんびり。桶后溪に面するこの部屋は、窓を開けると川面からの心地よい風が入ってきます。

小高い丘の上にある・・・続きを読む


台湾便り 竹東 [北部]

新竹縣一帯は昔「竹塹」と呼ばれ、現在も竹北、竹南、竹東、竹中、それに新竹と、地名に「竹」の字がついています(ちなみに西は海なので竹西はありません)。今日は竹東に出かけました。

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頭前溪に沿った122号線を、いくつかの上り下りを経て自転車を漕ぐこと小一時間で、竹東の町を南北に貫く長春路に入ります。

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公園路の急坂を登ると、程なく左手に九華山大願寺の山門が見えます。更に階段を上ると、御本尊の釈迦牟尼仏が丘の上から竹東の町を見下ろすように鎮座していました。

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坂を下って再び長春路の一本裏手の康寧街の道を進んでいると、左手に古びた屋敷がありました。門から中を覗いていると、丁度車から降りて来た人に「何か御用ですか?」と尋ねられました。「私人の家のようですが、歴史のある建物のようなので、ちょっと写真を撮らせて頂いてもいいですか?」と尋ねると、「ここは彭(ポン)さんの家です。ご覧になるなら電話をかけて中から開けてもらいましょう。ここでちょっと待っていて下さい」というなり、向かいの家に入って行きました。「犬が吠えるから」と一緒に行くと、中から閂が開けられて年配の男性が出てきました。どうやら先ほど電話をかけてくれたのは、向かいの家に住む親戚の方のようでした。

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門を入ると中の建物は台湾特有の三合院で、正面は祭殿の間です。隴西堂という額が掲げられているので、ご先祖は甘粛省(隴)辺りから来られたのでしょう。残念ながら御本尊は泥棒に盗まれてしまったそうで、その後塀と門を付けて四合院のようにしたそうです。家を建ててから既に96年建ち、あちこち傷んで修理をしたので、昔の形からは多少変わってしまったのですが、中庭のたたきの石は当時大陸から運んで来たものをそのまま残しているそうです。

御主人が「かつてこの周りは池や緑があって、とても良い風水だったのですが」と言って見遣った先には、20数年前に建てられたという煤けた4階建てのアパートが覆いかぶさるように立っていました。
お礼を言って辞すと、ご主人は閉じかけた門の隙間から、しばらく手を振って見送ってくれました。

家に帰って竹東の歴史を調べると、彭氏一族は約200年前にこの地が開拓された頃から続く竹東の名家でした。

台湾便り 金爪石から陰陽海へ [北部]

台湾にやって来た学生時代のギター仲間のK君と一緒に九份を訪れました。二人とも九份には行ったことがあるので、今回は少し足を延ばして金爪石の勧斎堂から、北に下って黄金瀑布と十三層選鉱場、陰陽海に出て海岸線を瑞芳に戻ることにしました。

台北から自強號に乗って車窓を眺めていると、前回は観光バスで来たK君が尋ねました。

   「九份に行くには、何ていう駅で降りるの?」
   「瑞芳(ルイファン)だよ」
   「ふーん、『ずいほう』って書いて、『るいふぁん』って読むんか」

と、納得した様子です。
自強號に乗ると台北から瑞芳までは40分程です。昨晩の寝不足で少しうとうとしていると、

   「アナウンスで『るいふぁん』って言ってるよ」

音楽好きだけあって、中々良い耳をしています。
さて、列車を降りて改札に向かってホーム歩き始めると、K君は焦った様子で言いました。

   「あ、ここ瑞芳と違うで。第二月台駅って書いてあるよ!」

確かに駅名より大きな青いペンキ文字ですが、実は、それは二番プラットホームという意味なんですな。

駅前からタクシーに乗ると、この運ちゃんが実によくしゃべる人でした。観光客の記念アルバムや観光写真集を渡してくれるばかりか、自分の生まれ年から住んでいた所まで、基山街の登り口に着くまで留まるところを知りません。最後に名刺を渡して、「よかったら帰りに電話で呼び出してちょうだい。謝謝」という所でようやく解放されました。

九份では基山街の両側に並ぶ店を冷やかしたり、試供品のつまみ食いをしながら石段を上り、霧雨で少し煙る深澳湾が見渡せる山海観で休息しました。テラスで珈琲を飲みながら、お互いの仕事や家族の近況に話が弾みました。

九份からバスで10分ほど行くと金爪石です。黄金博物館の二階には、200kg強もある立派な金塊が飾ってあります。アクリルケースの横には穴が開いていて、手で触れることができます。触った見学者は誰もがついでに持ち上げようとしますが、当然のことながらビクともしません。
手前の札には、1オンス2万2千NTD、全重量7千何がしオンスと書いてあります。思わずK君も私も暗算。

   「五千万か?」
   「ひと桁違うぞ、五億円やで」

う~ん・・・と、思わずお互いにため息です。


勧斎堂は關公(三国志に出てくる関羽)を祀ったお寺で、ここの像が台湾で一番大きなものだそうです。お線香をあげて出ようとすると、お寺のお婆さんが「こっちに上がって見ると、良く見えるよ」と物干し台のようなところを教えてくれました。なるほど、真下から見るよりずっと良く見えます。

陰陽海に下ろうと、行きに乗ったタクシーの運ちゃんに電話すると、何のことはない「今、台北にいるんですよ、すいません」ですと。きっといいお客さんを捕まえたんでしょうな。この辺りに来る観光客の殆どは九份で降りてしまい、金爪石も黄金博物館までがせいぜんです。勧斎堂まで来る人はごく少なく、それもマイカーの人たちです。勧斎堂前のお店で井戸端会議をしていた店のおばさんたちに「黄金瀑布に行くのに、タクシーを呼びたいんですが」と聞くと、「え、そんなのないよ、歩いても30分ぐらいで行けるよ」とそっけない返事です。仕方なくバスで一旦九份まで戻ってタクシーを拾おうと、戻りのバスの出発を待っていると、さっきのおばさんたちの中の一人が、「うちの子に運転させるから」と助けてくれました。

【黄金瀑布】 
勧斎堂から金水公路のつづら折りの急坂を下って行くと、右手に茶壺山から流れ落ちる渓流が作る黄金瀑布があります。


金瓜石一帯は雨が多く、雨水が鉱脈に滲み込んで、鉄や銅を含む鉱石と接触して、ミネラルを多量に含んだ酸性水になり、沈積してこういう色の「黄金滝」になったそうです。

【十三層選鉱場遺址】
かつて台湾金属鉱業公司の選鉱場として1933年に建てられたこの工場では、採鉱された金鉱石の選別、冶金、精錬までの作業が行われていました。


急峻な斜面を削って幾段にも重なる建物の姿から、「十三層選鉱場」という名がついたそうです。右手は基隆山を背にした廉洞(リェントン)の里です。


十三層選鉱場跡を望む高台からは、陰陽海の様子がはっきりと分かります。金瓜石の地質に大量に含まれる黄鉄鉱が水質を変え、青い海を黄色に染めています。

マイカーを運転してくれた青年は、それぞれの場所で丁寧に説明をしてくれて、最後に瑞芳の駅まで送ってくれました。


台湾便り 清水断崖 [北部]

中秋節の連休を利用して、東海岸まで足を延ばしてみました。行く先は清水の断崖です。

台湾東海岸の花蓮と蘇澳を結ぶ海岸線は、台湾の背骨を形作る中央山脈が太平洋にせり出し、2000m級の山が急峻な断崖となって、一気に太平洋に切れ落ちています。とりわけ清水大山の付近は、高さ数百mの絶壁が延々と続き、「清水断崖」と呼ばれています。

朝7時過ぎの新竹発自强號に乗り、宜蘭で北廻線の各駅停車に乗り換えました。蘇澳(スアゥ)を過ぎるあたりまで車窓を強く打ち付けていた雨は、和仁(ヘーレン)駅に降りる頃には嘘のように上がり、青空のもとにエメラルド色の海が開けました。


和仁駅に止まる列車は一日に8本だけ、正午前から夕方までは、この駅に止まる列車はありません。ホームで駅員さんに切符を手渡し、地下道をくぐりぬけると改札には人もなく、柵が開け放たれたままでした。


線路に沿いに蘇花公路の坂道を上って行くと、左手に太平洋が開け、崖に穿たれたトンネルが小さく見えました。先ほどまでの強い雨で、急斜面から滴り落ちる雨水が、道路を川のように流れて行きます。


蘇花公路は断崖にへばりつくように穿たれ、はるか下の海岸に打ち寄せる波の音が、遮るものもなく風に乗って運ばれて来ます。天上の回廊のようなこの道を歩いていると、よくもこんな所に道を穿ったものだと、前人たちの偉業に感心します。


和仁歩道の長い石段を伝って浜辺に降りてみると、断崖の様相は一段と良く解ります。地質学的には片麻岩と大理石から成っている岩盤は非常に硬く、容易に風化したり崩壊することなく、幾星霜の間その姿を保っていると言われていますが、それでも表土や一部の欠落で、しばしば落石が起きているようです。


飛田盤山と清水山に挟まれた良里(卡那剛)溪の河口に広がる浜辺には、山から運ばれた大理石が波に洗われて礫となり、奇麗な模様で楽しませてくれます。

誰もいない浜辺で打ち寄せる波の音を聞きながら、海の彼方に思いを馳せました。
日本と台湾の距離は、

東京-1000km-鹿児島-700km-那覇-360km -石垣-140km-与那国-100km-宜蘭

日本の最西端にある与那国島から沖縄の那覇まで500km、そこから九州南端の鹿児島まで更に700km、東京までは実に2000km以上も離れています。一方、台湾の東海岸にある宜蘭から与那国島までは100km、石垣島まで行っても240kmです。
台湾本島から台湾の離島までの距離を見ると、台南-金門が240km、新竹-馬祖が170kmですから、与那国島や石垣島は、これ等台湾の島々とほぼ同じ距離圏内にあります。台湾の歴史の中では、この300年ほどの間に中国大陸の文化が色濃くこの島を覆いましたが、自然環境から見れば、農業、漁業、それに伴う祭りや生活習慣、音楽など、南西諸島が台湾と同じ文化圏にあったと考えるのは、ごく自然のことのように思えます。


台湾便り 三貂嶺瀑布群 [北部]

三貂嶺・・・サンディァォリンと発音します。ちょっと変わった名前です。この駅のことを初めて知ったのは、2005年のヴェネチア映画祭で短編フィルム賞に選ばれた、林見坪監督の映画『小站(small station)』でした。少し知的障害のある息子が初老の母親と一緒に、特急列車が通過するのを見るために、台北から弁当を持ってわざわざやって来るとういお話ですが、その時の舞台となったのが三貂嶺の駅でした。30分の全編のうち半分ぐらいはこの駅の様子が写されていますが、親子の交わす会話と風景が素朴で優しく、三貂嶺という少し変わった名前と共に印象に残っています。
会社でこの話をしたら、歴史や地理に詳しいS君が、「スペイン人やポルトガル人が台湾に航海してきた時、遠方から見たこの土地の風景が故郷のサンデエゴに大変似ていたので、三貂(サンディァォ)と名付けたそうです」と教えてくれました。

さて、6:13新竹駅始発の急行列車「莒光(ジュウグァン)」に乗って八堵(パードゥ)まで行き、そこから平溪線に乗り換えました。三貂嶺の瀑布群への散策は、三貂嶺から五分寮溪に沿って遡るのが一般的なルートのようですが、今日はひとつ先の大華(ダーファ)駅まで行って、そこから山に入り、渓谷に沿って三貂嶺まで下ることにしました。


大華の駅を降りると渓谷に股がる「紅橋」が右手遠くに見えましたが、駅からは左手の山に登って行く道だけで、沢の方に下る道は見当たりません。一旦駅に戻って日陰で涼んでいたお年寄りに、「紅橋へはどう行けばいいですか?」と尋ねると、「線路伝いに歩いていって、右に降りな」との返事です。線路脇には大きく「行人立入禁止」と書いた看板があるんですけど・・・。


「今電車が来たら、警笛を鳴らされるだろうなぁ」と思いつつ、線路の脇の敷石の上をしばらく行くと、右手に沢へ降りる道がありました。真っ赤に塗られた紅橋を渡っていると、お宮さんにたくさん並んだ赤い鳥居をくぐっているような感じがしました。


橋の上から沢を覗くと、渓流釣りをしているご夫婦が居ました。「你好(こんにちは)」と声をかけると、よく聞こえなかったらしく、「何だって?」と怪訝な顔で聞き返されましたが、もう一度大声で「你好!」と叫ぶと、「オ、ニイハオ」と返事が返ってきました。

小一時間ほどして新寮溪を渡ったところで、ちょっと道が判らなくなってしまいました。どうやらこのルートを歩く人は殆どいないらしく、駅を出てからまだ誰にも会いません。ちょうど運良く野良仕事をしていた人がいたので道を尋ねると、「一人で来たの、すごいねぇ。気をつけて」と言いながら、親切に道を教えてくれました。


台北縣は雨量が多く、登山道の周りはシダや雨傘のような大きな草の葉が鬱蒼と茂っています。辺りの林で鳴く蝉の合唱は、何だか沖縄のエイサーのようにリズムが合っていて、沖縄の人は自然の中から三線の曲のヒントを得たのではないかと思いました。


五分寮溪の沢を渡って少し行くと、福興宮(フゥシンゴン)の小さな祠があありました。傍に居る仙人のような人は、何となく役行者樣のような雰囲気で、お線香を上げてお参りをさせてもらいました。

いよいよここから瀑布群に入ります。基隆河の支流である五分寮溪(ウーフェンリァォシー)には、上流から順に第一段の「枇杷洞瀑布」、第二段の「摩天瀑布」、そして第三段の「合谷瀑布」と、三つの滝があります。


今年の夏は雨が少なく水量が少ないようです。枇杷洞瀑布の滝口まで行って下を覗いて見ましたが、ちょっと足がすくみます。滝口から横に廻ると、岩が大きくオーバーハングしているのがわかります。


更に下って滝壺から見上げると、そそり立つ断崖はかなりの迫力です。水量が多ければ更に見ごたえがあるでしょうね。


第二段「摩天瀑布」の滝壺への道はほぼ垂直で、岩盤には足場が穿ってありますが、滝のしぶきで苔が生えて滑りやすく、鎖や梯子を伝って慎重に下ります。

滝の周りは漂うしぶきで湿度が高く、亜熱帯特有の鮮やかな色をした鳥や昆虫、草花の宝庫でした。


蜜を吸う蝶々。こちらは陽炎でしょうか。

名前はちょっと判りませんが可愛い花です。


鬱蒼とした森を抜けると、一気に山を下って鉄道の線路に当たりました。再び線路を伝ってしばらく進むと、三貂嶺の駅に着きました。


何気なくホームに立っていたら「ピピッ」と笛が鳴って、顔を上げると映画と同じように駅長さんが少し怖い感じで後ろに下がるようにと身振りで示しました。確かにホームの幅が本当に狭く、急行列車が通過する時は、崖にへばりつくようにしていないと、風圧で巻き込まれてしまいそうで、駅長さんが注意するのも頷けます。
切符を売ってくれた小太りの駅員さんは、電車が来る少し前にわざわざ駅舎から出て来て、丁寧に電車の乗り継ぎ方を教えてくれました。「二つ目の瑞芳で降りて、急行に乗り換えれば台北に早く着きます。間違えないように。二つ目ですよ。いいですか」と念を押し、電車に乗ると手を振って見送ってくれました。

九份・金瓜石から平溪線沿線にかけては、かつて金や石炭の鉱山で賑わった街だそうですが、今は昔の面影もなく、三貂嶺の駅界隈は時折登山客が乗り降りする以外はひっそりと静まり返っています。


台湾便り 平溪線 [北部]

平溪線は台湾北東部にある支線のひとつで、通常、八堵(パァドゥ)始発で、三貂嶺(サンディァォリン)から東部幹線と分かれて、山間を走る支線に入ります。


八堵の駅ホームで平溪線の始発列車を待っていると、大挙して登山客がやってきました。台湾も週末登山は盛んなようで、ホームから人があふれ出しそうでした。ところが入って来た電車は二両編成で、すし詰め状態での発車です。


十分(シーフェン)駅は候孝賢監督の映画「恋恋風塵」の舞台となった駅で、線路沿いに並ぶ店の軒先を列車が通ります。列車の間隔は1時間程度とまばらなので、「線路内立入禁止」の看板はほぼ無視されて、皆あちこちで線路を横切っています。昔の日本の路面電車と商店街のような感じです。


駅沿いの商店街を抜ける頃、天燈のお店を見かけました。平溪郷では旧正月に熱気球の様に提灯を飛ばす「天燈節」で有名なところです。

十分の駅から線路沿いに東に戻ると十分瀑布があります。年配の登山グループがそちらに向かったので多分同じ所に行くんだろうと付いて行き、かなり山道を登ったところで念のために尋ねると、「あたしら五分山へ登山に行くので、滝には行かないよ」とのこと。これは失敗、と滝への道を尋ねると、「まぁせっかくここまで来たから、私たちと一緒に山登りしないかい」と誘われました。ちょっと時間がないし、平溪の町にも寄りたいのでお礼を言って来た道を戻りました。途中、登山道の藪刈りをしていたお年寄りは、さっき通ったばかりの私が降りてきたので、何やら話しかけられましたが、台湾語のようでチンプンカンプンです。しょうがなしに「滝に行きたいんです」というと、これまた「〇*×?△・・・」と、持ってる鎌を振り回して教えてくれました。まあ、「真っ直ぐ行って左に行け」ぐらいなら、ジェスチャーだけでもわかりますからね。


鉄橋越しに基隆河の上流を望むと、山間から煙が立ち昇って行くのが見えました。


十分駅に戻って次の列車まで時間があったので、お年寄り夫婦がやっている小さな食堂に入りました。シルエットに浮かぶ二人のゆったりとした動きを見ていると、何だかそこだけが違う空間のようでした。


平溪の駅を降り、線路沿いにしばらく坂を登ると、第二次大戦の頃の防空壕がありました。私たちは戦争の時代の経験がありませんが、本当に狭くて暗い空間に入ってみると、生活の一部にこういうことを余儀なくされる日常とは、どんなものであったのかと複雑な思いでした。防空壕のある小高い山の上に立つと、ちょうど平溪の街が一望に見渡せました。

平溪からは台湾客運のバスに乗って、一時間ほどで台北南の木柵(ムーツァ)へ出ることができます。バスが来るまでの時間が小一時間あったので、バス停で本を読みながらのんびり待っていましたが、予定の時刻を過ぎても一向にバスの来る気配がありません。隣に座って待っていた登山帰りの人が携帯でバス会社に確かめると、何とバスが故障して運行休止とのこと。次のバスまで更に一時間半待たなければいけません。何とも日本では考えられないことですが、その人は「まぁ台湾はこんなもんですから」と、焦る様子もありません。こちらもどうにもならず、二人でそのまま待っていると、日本人のおじさん二人組みが話しかけてきました。どうやら気ままな旅らしく、その日の宿も出たとこ勝負で決めるとのこと。よほど台湾に慣れているのかと思ったら、今回が二回目だそうです。若い人のバッグパッカーはたまに見かけることがありますが、見るからに還暦を過ぎたおじさんコンビが、行き当たりばったりの旅をしているのにはちょっとビックリです。まぁお陰で退屈せずにバスを待つことができましたが・・・。


台湾便り 亜熱帯気候の植物 [北部]

この週末、台北の南にある三峡(サンシャ)で会社の研修をしましたが、宿泊施設の周りに熱帯雨林の保存区がありました。台湾は亜熱帯気候で植物の成長が非常に早いのですが、表土が浅い所では、木の根は地中奥深くまで伸ばすことができず、自らを支えるために根を地上に厚く張り出します。このように幹の下部が厚い板のようになっているものを板根と言います。


谷には羊歯類や蔦が鬱蒼と茂り、立派な板根を持つ巨木が現れました。

むせ返るような湿気に汗を滴り落としながら歩いていると、その辺りからオランウータンでも出てきそうな感じです。

【情報】
大板根森林温泉渡假村 台北縣三峡鎮挿角里80號 TEL 02-2674-9228


台湾便り 北埔の擂茶 [北部]

新竹から竹東経由でバスを乗り継ぐと、1時間ほどで北埔(ベイプ)の町に着きます。ここは客家(ハッカ)の人たちが多く住み、その文化が色濃く残る街です。今日はここ特有の擂茶(レイチャ)を楽しんできました。擂(レイ)とは中国語ですり潰すという意味で、その名の通り、材料は北埔特産の東方美人茶の他に、松の実、向日葵の種、胡麻、大豆など20種類ほどの穀物をすり潰して、お湯を注いで飲むものです。慈天宮近くの北埔老街の一角には、昔ながらの擂茶を飲ませてくれる茶房がいくつかあります。


このお店ではDIY(Do it yourself)スタイルで、先ずはこれだけの材料を、すり鉢に順番に入れてすり潰していきます。松の実や穀物から油が出るので、多少粘っこくなり結構リキが要ります。


最後に熱湯を注いでよくかき回し、器にとって紅豆(あずき)と米香(アラレのようなもの)を入れれば出来上がりです。家で飲む時は、冷蔵庫で冷たく冷やして飲んでもいいでしょうね。


中庭の井戸。百年以上使われてきたそうです。


のんびりと時間が過ぎてゆきます。おみせのワンちゃんも夢の中・・・。


お茶でゆっくりした後は、南興街の市場に出かけました。店の人とやり取りしながら乾燥果物のつまみ食い・・・色々な味が楽しめて、なかなか止まりません。オーソドックスに烏梅と金橘蜜餞を買いました。

さて帰る段になり、バスの本数が少ないのでタクシーを捜していると、目の前を通り過ぎた一台のタクシーが後部座席の窓を開けました。カミさんが、「父さん、どこ行くのかって聞いているわよ?」というので乗り込もうとすると、助手席と後部座席に既に2人を乗せています。「竹東までいいですか」と聞くと、運転手さんは「没関係、没関係(いいから、いいから)」と乗せてくれました。3人の会話を聞いていると、どうやら奥さんと子供のようで、家族で出かけたついでに仕事に切り替えた様子です。「竹東のどの辺から来たの?」というので、「私ら日本人だよ」というと、「こりゃ失礼、てっきり台湾人(タイワンレン)かと思った」と言われました。この辺は日本人は居ないだろうし、今日の私は典型的な台湾人スタイル(Tシャツに短パン、運動靴)、カミさんも似たような格好ですから、シルエットが北埔の老街に溶け込んでいたんでしょうね。


竹東から新竹行きのバスに乗ると、これまた時間を逆に回したようなオンボロバスでした。乗客はバス停が近づくと、天井近くの紐を引っ張って「チンッ」というベルで運転手に知らせます。
最後までレトロな一日でした。
ところで擂茶ですが、スリコギを使って作るのが億劫な人には、お湯で溶かすだけで良い便利なパック入りがお奨めです。実は私も買ってきました。

【お店の情報】
「古道茶房」 新竹縣北埔郷北埔街三巷六號 TEL 03-580-3879
慈天宮に向かって右の裏路地を50m程入った老街の一角にあります。


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