台湾便り 蘭嶼 その(2) [離島]
朝一番に宿のある紅頭村を出て、島の中央にある気象観測所まで登りました。といってもバイクですが・・・。蘭嶼は紅頭村と野銀村を結ぶ中横公路から南の部分が細くなっていて、気象観測所のある高台からは両側の海が見渡せます。
遠く目をやると軍艦島が見えます。第二次大戦中、まるで二隻の軍艦が並んだようなその姿に、米軍が誤爆したという話が残っています。
測候所から急坂を下って行くと、足元に達悟(タオ)族の人たちが住む野銀村が見えました。
村に入るとそこかしこにブタやニワトリ、犬や山羊などがいました。野銀村では今でも「バウイ」と呼ばれる達悟族の伝統的な住居に住んでいる人たちがいます。バウイは石垣に囲まれた半地下式の堅穴住居になっていますが、強い風と日差しを避ける生活の知恵でしょうか。
阿美(アメイ)、排灣(パイワン)、魯凱(ルカイ)などの原住民の間では、鷲の羽根は部族を守る勇気と智慧を表す象徴です。「邀翔穹蒼(大空を自由に飛翔する)と名付けられたこの彫刻は、野銀村の小学校の入口で海に向かってしっかりと立ち、風に髪をたなびかせながら大空を仰いでいました。
開元の港にはフェリーが停泊していました。バイクを降りて船を見ていると、キャビンで暇そうにしていた船長さんがデッキに出て来ました。
「船に乗るのかい?」
「いえ、ちょっとバイクで島を回ってるだけですけど。いつ出港ですか?」
「明日の午後二時だよ。」
「緑島に寄って行くんですか?」
「いいや、直接台東に行く」
船腹には、富岡(台東)-緑島-蘭嶼と書いてあるのですが、どうやら緑島へは寄らないようです。
椰油村に小さな造船所があったので、入口近くの小屋でビンロウを売っているおばさんに言って、中を見せてもらいました。達悟族独特の彩色模様で飾られた「タタラ」と呼ばれる丸木船です。この船でトビウオなどの漁をして生計をたてています。一昨年、この手漕ぎ舟「イパンガナ號」に乗って、蘭嶼から台北までの航海があったのを覚えています。
野銀村と椰油村の小さな教会。台湾の少数民族の多くは、キリスト教によって迫害から庇護された歴史を持っています。
村の近くにはタロイモの畑が広がっています。この地方の人たちの主食です。
今日は日曜ですが、椰油小学校では子供たちが遊んでいました。中国式のコマ回しで遊ぶ子と、教室の窓に貼られたスーパーマンのシール。どこの国でも彼は子供たちのヒーローです。
大きな木の下で・・・豊かな自然に囲まれて育った子供たちは、どんな思いを心に刻むでしょう。
漁人村の公民館では、「傳統母語歌謡比賽(達悟語を使ったのど自慢)」が開かれていました。近頃プロまがいの舞台度胸を見せる日本の子供たちと違って、出場者は皆一様に人前で歌う恥じらいを見せ、会場の中は犬や子供が走り回り、外ではお年寄りが歌に関係なく世間話に花を咲かせるという、何とも素朴なイベントです。
真夏のような強い日差しを浴びた海は、昨日とは打って変わって深い蒼色をたたえていました。
五孔洞は海水の浸食で穿たれた大きな洞窟で、天井から水が滴り落ちる5つの洞窟は中でつながっています。かつてこの場所は達悟族の人たちから「凶悪な魂の巣」と恐れられ、女性や子供たちは立ち入ることを禁じられていました。現在は「蘭嶼區會祷告営地」と書かれた祈祷所があります。
海岸線を南に向かうと、山の裾野から煙が立ち上るのが見えました。焼き畑です。
山と海に挟まれた猫の額ほどの畑と、小舟での漁・・・そこには素朴な生活の営みがありました。
遠く目をやると軍艦島が見えます。第二次大戦中、まるで二隻の軍艦が並んだようなその姿に、米軍が誤爆したという話が残っています。
測候所から急坂を下って行くと、足元に達悟(タオ)族の人たちが住む野銀村が見えました。
村に入るとそこかしこにブタやニワトリ、犬や山羊などがいました。野銀村では今でも「バウイ」と呼ばれる達悟族の伝統的な住居に住んでいる人たちがいます。バウイは石垣に囲まれた半地下式の堅穴住居になっていますが、強い風と日差しを避ける生活の知恵でしょうか。
阿美(アメイ)、排灣(パイワン)、魯凱(ルカイ)などの原住民の間では、鷲の羽根は部族を守る勇気と智慧を表す象徴です。「邀翔穹蒼(大空を自由に飛翔する)と名付けられたこの彫刻は、野銀村の小学校の入口で海に向かってしっかりと立ち、風に髪をたなびかせながら大空を仰いでいました。
開元の港にはフェリーが停泊していました。バイクを降りて船を見ていると、キャビンで暇そうにしていた船長さんがデッキに出て来ました。
「船に乗るのかい?」
「いえ、ちょっとバイクで島を回ってるだけですけど。いつ出港ですか?」
「明日の午後二時だよ。」
「緑島に寄って行くんですか?」
「いいや、直接台東に行く」
船腹には、富岡(台東)-緑島-蘭嶼と書いてあるのですが、どうやら緑島へは寄らないようです。
椰油村に小さな造船所があったので、入口近くの小屋でビンロウを売っているおばさんに言って、中を見せてもらいました。達悟族独特の彩色模様で飾られた「タタラ」と呼ばれる丸木船です。この船でトビウオなどの漁をして生計をたてています。一昨年、この手漕ぎ舟「イパンガナ號」に乗って、蘭嶼から台北までの航海があったのを覚えています。
野銀村と椰油村の小さな教会。台湾の少数民族の多くは、キリスト教によって迫害から庇護された歴史を持っています。
村の近くにはタロイモの畑が広がっています。この地方の人たちの主食です。
今日は日曜ですが、椰油小学校では子供たちが遊んでいました。中国式のコマ回しで遊ぶ子と、教室の窓に貼られたスーパーマンのシール。どこの国でも彼は子供たちのヒーローです。
大きな木の下で・・・豊かな自然に囲まれて育った子供たちは、どんな思いを心に刻むでしょう。
漁人村の公民館では、「傳統母語歌謡比賽(達悟語を使ったのど自慢)」が開かれていました。近頃プロまがいの舞台度胸を見せる日本の子供たちと違って、出場者は皆一様に人前で歌う恥じらいを見せ、会場の中は犬や子供が走り回り、外ではお年寄りが歌に関係なく世間話に花を咲かせるという、何とも素朴なイベントです。
真夏のような強い日差しを浴びた海は、昨日とは打って変わって深い蒼色をたたえていました。
五孔洞は海水の浸食で穿たれた大きな洞窟で、天井から水が滴り落ちる5つの洞窟は中でつながっています。かつてこの場所は達悟族の人たちから「凶悪な魂の巣」と恐れられ、女性や子供たちは立ち入ることを禁じられていました。現在は「蘭嶼區會祷告営地」と書かれた祈祷所があります。
海岸線を南に向かうと、山の裾野から煙が立ち上るのが見えました。焼き畑です。
山と海に挟まれた猫の額ほどの畑と、小舟での漁・・・そこには素朴な生活の営みがありました。
2008-11-15 20:30
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