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台湾便り 金門(3) 古寧頭、瓊林、風獅爺 [離島]

今朝は爽やかな青空です。天秤棒の両脇に大きな漏斗を抱えたお年寄りが、庭先の野菜畑に水やりをしていました。

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朝の冷たい空気を大きく吸いながら、民宿の裏手にある小高い丘の上まで登りました。家々から人が出て来て、街もそろそろ動きだします。

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燕尾の上で民家を守る龍。

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大きな音につられて頭上を見上げると、朝一番の立榮機が飛び立って行くところでした。

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散歩から戻ると、机の上にビニール袋に入った饅頭と麺線が置いてありました。羅さんは今日も朝から見かけません。月曜なのできっと子供たちを金城鎮の学校へ送って行ったのでしょう。宿には他に誰もおらず、何だか留守番を任されたみたいで妙な気分です。11時の飛行機で台北に行くと言っていたので、すれ違いですね。お礼の手紙を残しておきましょう。

さてバイクに乗って出発です。気温が低く冷たい風が頬を切ります。隣り町の歐厝(オゥツォ)を通り抜け、島の西北にある古寧頭(グゥニントゥ)地区に向かいました。

古寧頭の北山、南山

古寧頭の町の南にある門をくぐると、間もなく右の慈湖、左の海に挟まれた海岸道路を通ります。

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道路を横殴りに通り抜ける風のため、木々が斜めに伸びています。遠浅の海の向こうに小金門の島影が霞んで見えました。

古寧頭は山海の恵みと、遠浅の海によってもたらされる塩田に恵まれた豊かな村でした。雙鯉湖を挟んで向かい合う北山村と南山村の生活は、国共戦争によって大きく様変わりしました。

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今も砲弾の跡が生々しい洋館が残っています。

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北山町に一歩足を踏み入れると、軒を突き合わせた石造りの家々は、微妙に角度を変えて建ち並び、いつの間にか自分のやって来た方角がわからなくなって、時には洗濯物が干してある民家の中庭に突き当たったりしてしまいます。日向ぼっこをしているお年寄りに道を訪ねて、しばらくするとまた同じ人に出会う・・・そんな迷路のような路地を、郵便配達のバイクがスイスイと走って行きました。

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井戸の水を汲み、リヤカーを引く、そんな日々を送る生活・・・子供の頃を思い出させます。

瓊林

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古聚落には「祠堂」もしくは「祖厝」と呼ばれる祖先を祀る家廟が必ずあります。これは瓊林(チョンリン)の名家蔡氏の祠堂です。

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伝統建築の技法を使って真新しく家が修復されています。本島ではあまり手を付けられていない伝統家屋の修復保存が、馬祖や金門の離島で行われています。

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金湖鎮瓊林の静かな街並みからは想像しがたいのですが、住宅街の地下に延々と続く防空壕があります。どこまで続くか不安にかられながら、先の見えない狭い地下道を行くと突然階段が現れて、風獅爺の立っている町はずれの広場に出ました。

風獅爺

金門の古聚落や街道を行くと、時折石造りの獅子像を見かけます。これは風獅爺(フォンシイェ)と呼ばれる村の守り神です。装飾を排した素朴な石の彫像ですが、それぞれになかなか魅力的な表情をしています。

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洋山                           中蘭

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古崗                  西園1                  西園2

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金門城                 瓊林1                  瓊林2

宿に戻ると相変わらず誰もおらず、荷物を片付けてバイクの股に挟み(う~ん、台湾人になった!?)、地図を頼りにバイクを返しに行きました。奥さんが携帯で呼び出すと、眠そうな顔をした旦那さんがシャツをたくしあげて出て来て、空港まで送ってくれました。

思ったより見るところが多くてちょっと忙しい旅でしたが、週末は天気が崩れるという予報とは裏腹に、雨に会わずに済んだ二泊三日の旅で、金門の伝統的な閩南建築が今も残る集落を見、実際に寝泊まりすることができました。短い滞在ではありましたが、福建、金門、台湾本島と続く歴史の道を垣間見たような気がします。

台湾便り 金門(2) 翟山、金門城、水頭 [離島]

朝起きると外は強い風です。高い山を持たない金門は、この季節は強い風が吹きます。入口の間でしばらくのんびりしていると、羅さんが外帯(お持ち帰り)の廣東粥と焼餅を買ってきてくれました。昨晩、羅さんに「朝ごはんは何が食べたいですか?」と聞かれたので、これをお願いしていたのですが、ちゃっかり外のお店で買ってきたようです。羅さんには中学生の女の子を筆頭に三人のお子さんがいる上に、民宿をひとりで切り盛りしているので、いつも忙しそうに動き回っています。

バイクで出かけようとすると、「今日は珠山の資料館を見ていったら?中には入れるのは日曜だけだし、9:00には係の人が鍵を開けに来るから、もうすぐ見学できますよ」と教えてくれました。台北から来た女性も興味があるというので一緒に出かけました。胡蘆(瓢箪)の形に切り欠いた小窓のある門をくぐると、煉瓦作りの立派な二階建ての家が現れました。

展示されているものはあまり変哲のない日常品ですが、胸にバッジを付けた係の女性が親切に説明してくれました。

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左は石臼、右は熾した炭を中に入れて使うアイロンです。

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二階に上がって重たい木窓を開けると、珠山村の全貌が良く見渡せました。専門的な建築様式の言葉が良く分からずに戸惑った顔をしていると、一緒に行った女性が詳しく説明してくれるのですが、それでもやっぱり中国語なので今一つ十分には理解できませんでしたが、「3つの棟と門で囲まれた四合院は、正面奥に家長が住む母屋と祭壇の間があって、その左右両脇の棟は家を守るという意味で「護隴(フーロン)」と呼ばれています。一般的には母屋の切妻が燕のしっぽのように跳ね上がっている「燕尾」、護隴の切妻は馬の背中のように丸くなっている「馬背」になっています。正面に向かって並んだ棟の数によって、「二落」、「三落」と数えます。三落は少しお金持ちの人の家ですね。どの村にもあるため池は、雨が少ないからというわけではなく、風水の関係です。」と教えてくれました。

翟山坑道

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翟山(ザィサン)坑道は1961年から5年の歳月をかけて掘られた軍事要塞で、1998年から一般の人も見学することができるようになりました。薄暗い坑道に降りると海への出口から光が差し込み、繰り返す波の音だけが誰もいない洞内に響いていました。

金門城

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金門城は明朝の洪武20年(1387年)に江夏の周徳興によって築かれ、「金のように固く雄々しい海の門」という意味で金門と名付けられました。当時は東西南北にある城門を巡る城壁に囲まれていましたが、現在残っているのは東、南、北門です。


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歴史のある街らしく、村の中にはかつては立派だったであろうと想像させる廃屋が残っています。すぐ近くに金門酒蔵の工場があり、風に乗って高梁酒の香りが漂ってきます。工場に立ち寄って展示即売所に行くと、係のお兄さんたちが新聞を読みながら暇そうにしていました。陳年(長期熟成もの)で良いのがあれば買おうと思って尋ねると、「これは20年の特別ものだよ」とひと瓶6000元もするものを紹介してくれました。すると傍にいた女性が、「違うわよ、これは10年ものよ、いい加減ねぇ」と、いとも簡単に熟成期間を半分に値切ってしまいました。最初の男性は「えぇ、そうだっけ?」と悪びれる様子もありません。台湾式ですね。ま、どちらでもいいんですが、「試飲させてくれる?」と聞くと、「試飲はこっちのやつだけ」と、普通のスーパーで売っているやつを入れてくれました。とうことで高いやつは買わずじまい。

水頭古聚落

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ここは金門の観光案内によく出てくる「得月樓(デユェロゥ)」です。清朝末から民国初期の間、この村の人たちは南方との商売で財をなし、いくつかの洋館を建てました。得月樓はその中の一つですが、村を守るための物見台の役割も果たしています。また、これらの建物は地下道で結ばれているそうですが、生憎工事中で中を見ることはできませんでした。

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町中を歩いていると、バスケットのゴールポストがポツンとひとつだけ置いてありました。きっと子供たちの遊び場ですね。

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水頭の港は中国大陸への窓口で、小金門と結ぶフェリーに交じって福建省の泉州や廈門への船もここから発着しています。

金門の名産「包丁」

金門の名産と言えば、高梁酒、麺線、それに包丁です。ということで包丁を作っている工場を見学しました。

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材料は山ほどある砲弾の筒です。これをふいごで熱して、

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ハンマーで叩いて薄く伸ばし、鉄が柔らかいうちにカッターで形を整え、

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グラインダーで磨くと、中華包丁の下地が出来上がります。店のショーウィンドーに並ぶ包丁を見ているうちに私もつい欲しくなって、気に入ったものを一本買いました。

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今日は一日強い風の中をバイクで走り回り、身体が冷え切ってしまったので、夕食は金城鎮の食堂で火鍋を食べました。食事を終えて金門鎮公所前を通りかかると、珠浦路の古い街並みがうす明りの中にぼんやりと浮き上がっていました。

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宿に帰って熱いシャワーで温まり、写真を整理していると羅さんがケーキとビールを持って現われました。どうやら昨晩中庭で話していた時に、そろそろ誕生日だという話を覚えていて、忙しい合間を縫って買ってきてくれたようです。思いがけないプレゼントに「謝謝」です。


【お店の情報】
金合利鋼刀 金門縣893金寧郷伯玉路一段50-54號 TEL 082-326789
金永利鋼刀 金門縣893金寧郷伯玉路一段226號 TEL 082-322333
どちらも見学可能です。

台湾便り 金門(1) 珠山、馬山、山后 [離島]

この週末を利用して、金門を訪れました。この島では現在も伝統的な閩南(ミンナン)式住居が集落の形で残っています。空港について予約していた民宿に電話をかけると、おかみさんの羅さんが車で空港まで迎えに来てくれました。先ず羅さんの知り合いがやっているレンタルバイクショップへ案内してもらいました。バイクショップの奥さんは「珍しいねぇ、日本人一人で来て民宿に泊まるなんて。台湾人だって大抵団体ツアーで来るよ。中国語は大丈夫かい?」と少し心配顔でしたが、私がうっかり免許証を忘れてきたと言うと、こちらの方は「あぁ構わないよ」と、全く気にする様子がありません。羅さんの車の後ろに着いて走ること約10分、珠山(ズゥサン)の民宿に着きました。

珠山聚落

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この民宿の建物は、150年ほど前に建てられた閩南式建築です。

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正面の門を入るとすぐに、客を迎えるための小さな部屋があり、

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更にそこを抜けると、綺麗に手入れされた中庭に出ました。

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案内された部屋には簡単な家具と、一人旅のおじさんが泊まるにしてはちょっと可愛すぎるベッドが置いてありました。

荷物を部屋に置いて、早速バイクで町へ出かけました。

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金城(ジンチェン)鎮は金門で最も人口の多い街です。メインストリートの民族路を行くと、名産の「麺線」が路上で天日干しにされていました。

民族路を通り抜け、還島北路を一路島の北東端にある馬山観測所を目指して進みます。海岸からいきなり急勾配で高い山につながる台湾の他の離島と違って、平地の多い金門では、立派な道路が島を一直線に貫いています。

馬山観測所

かつて共産党と国民党の間で激戦が繰り広げられた金門には、各所に軍事基地があり、馬山観測所もその要所のひとつでした。

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長い坑道を通って海岸線のトーチカに出ると、霞む海の彼方に中国領の角嶼(ジャオユィ)が見えました。ここから対岸までは約2km、大型双眼鏡を覗くと磯釣りをしている人影さえ見ることができます。

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しばらく磯に佇んでいると、大陸から来た遊覧船が岸辺のすぐ近くまでやって来ました。こちら側の岸にいる台湾の観光客と何やら大声で叫びながら手を振っていました。今では政治上この島々の間に国境線が引かれていますが、本来同じ文化圏の人たちだったのですから当然のことですね。

山后民族文化村

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山后民(サンホゥ)族文化村には、閩南式の歴史的建築が保存されています。美しい曲線を描いて大空に伸びる「燕尾型」の屋根が印象的です。

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建物の間の細い道を歩いていると、それぞれの家屋には独特のレリーフや陶器の装飾が施され、

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時折こんな楽しい風景にも出会います。

さて、夕食は金城鎮の町の中心にある節孝坊のすぐ傍にある小吃店で採りました。

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地元名産のオア麺線・・・新竹のオア(牡蠣)に少し比べると小ぶりです。

宿に戻ると中庭でシンガポールから来た謝さんご夫婦と、民宿の羅さんが茶飲み話をしていて、私も誘ってくれました。天気予報では週末から天気が崩れるとのことでしたが、羅さん曰く台湾本土と違って冬は殆ど雨が降らず、空気が乾燥しているそうです。新竹に比べると緯度は多少南ですが、大陸に近いせいか夜はグンと冷え込みます。冬でも25℃くらい気候の温暖なシンガポールに住んでいる謝さんは、分厚いジャンパーを着ていてもまだ寒そうな様子でした。

【宿の情報】

珠山41号民宿(大夫亭) TEL 082-323468

台湾便り 緑島 その(2) [離島]

朝6:00、目が覚めると空はどんよりと雲が垂れこめ、時折激しく雨が道路をたたきます。それでも島の天気は割と簡単に変わるので、雨具を着てバイクで出かけることにしました。

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緑島で一番長い大白沙の砂浜に着く頃には、遠くの空が少し明るくなり、天気の回復も期待できそうです。

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島の東南端にある「朝日温泉」は緑島の人気スポットのひとつです。雨にもめげずに若者たちがバイクでやってきていました。

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温泉の横手から「帆船鼻」に登ってみることにしました。海岸線で急峻に落ち込む火山岩の上に草が密生した丘陵で、海底から湧き出る朝日温泉の全貌が見渡せます。

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孔子岩の見える入江を過ぎる頃には、雲間から朝の光が射し、海が輝き始めました。

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海参坪から見える海岸線は、火山岩が波に洗われて数々の奇石を作りだし、緑島でも一、二を争う景観です。右は女性が寝ているように見える「睡美人岩」岸から離れた巨岩は「哈巴狗(北京犬)岩」と名付けられています。

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崖の先端から落ち込む絶壁の下は、深い緑を湛えた神秘的な水の色で、波が岩に砕ける白との対比が鮮やかです。

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島の東に面して風を避けるように馬蹄形の丘に囲まれた柚子湖は、漢人が移植した小さな村です。

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海岸まで降りて行くと、既に廃墟となった建物が緑の間に程良い間隔で並んでいました。かつて十数戸に住んでいた村人は、どんな生活をしていたのでしょうか。

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柚子湖にほど近い楠仔湖は海に突き出た海岸段丘で、広々とした草地が続きます。

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段丘の先端は大きく海に落ち込み、見下ろすとたくさんの山羊が三々五々草を食べていました。ここが台湾だと言われなければ、何やらイギリスの風景のようです。

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観音堂は丘の上にある鍾乳洞の中に作られた祠です。雨に穿たれた火山岩が複雑な洞窟を作り、その中に観音様が祀られています。

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将軍岩のある海岸は釣りのメッカです。足元を良く見るとテーブル珊瑚の死骸が死屍累々と続いていました。

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飛行場に向かう前、昨晩見つけた担仔麺のお店に入りました。担仔麺も新鮮な海の幸で作った鮮魚湯も都会のものに比べると量が多く、さすが漁師町だと感心しました。

飛行機が飛ぶか空模様を気にしながら、二泊三日の少し忙しい旅でしたが、南の島の美しい自然と素朴な人情を体験することができました。季節外れの一人旅もまた良いものです。

台湾便り 緑島 [離島]

蘭嶼から台東に戻って次の緑島行きの飛行機まで少し時間があったので、豐田駅近くの国立台湾史前文化博物館に行きました。

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この博物館は台湾で最初に作られた考古学博物館で、明るく広々とした館内には台東県の先史時代の文化が詳しく説明展示されています。

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民俗学的には台湾を起点とするオーストロネシア語圏は、フィリピンや遥かに南方諸島までも広がっていったというのが定説のようです。近代史の中では、大航海時代を経て清の時代に到るまで、台湾が「懸外の地」といわれて未開の地と見なされていたことを考えると、古代の台湾人が大海原に漕ぎ出して文化圏を拡大したというのは驚きです。

さて、緑島は面積15平方キロ程の島で、漢人が住むようになったのは1800年の初頭、清の時代からで、森林資源の獲得が目的でした。

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台東から同じ双発機に乗って、小雨の降る緑島に着いたのは夕方4:00過ぎでした。緑島への航路は蘭嶼航路と違って1000フィート程の低空で雲の下を飛ぶため、多少雨が降っても欠航しません。

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宿についてバイクを借り、夕暮前の灯台に出かけました。海岸線のすぐ傍にあるこの灯台は、1937年にこの近くで座礁したアメリカ客船の乗員を助けたとして、米国からの献金で建てられたものです。

秋の日暮は早く、あっという間に辺りは暗くなりました。蘭嶼に比べて台東から程近い緑島は、夏場はダイビング客も多く、コンビニや食堂もあって町も幾分開けています。

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夕食はそのうちの一軒「港式烤肉」のお店に入りました。客は私一人で親父さんも手持無沙汰な様子です。店先に吊るされた美味しそうな豚肉を50元ほどつまみに切ってもらい、ビールを飲みながらちょっと話をしました。元々夏場が掻き入れ時のダイビングですから、この季節は客があまり居ないのですが、この所の不景気で全体に商売は良くないようです。それでも親父さんは、時々ビンロウにやられた歯をみせて笑いながら、「没有辦法(ま、しょうがないわね)」と、あまり落ち込む風もありません。南国の島気質でしょうか。

台湾便り 蘭嶼 その(2) [離島]

朝一番に宿のある紅頭村を出て、島の中央にある気象観測所まで登りました。といってもバイクですが・・・。蘭嶼は紅頭村と野銀村を結ぶ中横公路から南の部分が細くなっていて、気象観測所のある高台からは両側の海が見渡せます。

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遠く目をやると軍艦島が見えます。第二次大戦中、まるで二隻の軍艦が並んだようなその姿に、米軍が誤爆したという話が残っています。

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測候所から急坂を下って行くと、足元に達悟(タオ)族の人たちが住む野銀村が見えました。

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村に入るとそこかしこにブタやニワトリ、犬や山羊などがいました。野銀村では今でも「バウイ」と呼ばれる達悟族の伝統的な住居に住んでいる人たちがいます。バウイは石垣に囲まれた半地下式の堅穴住居になっていますが、強い風と日差しを避ける生活の知恵でしょうか。

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阿美(アメイ)、排灣(パイワン)、魯凱(ルカイ)などの原住民の間では、鷲の羽根は部族を守る勇気と智慧を表す象徴です。「邀翔穹蒼(大空を自由に飛翔する)と名付けられたこの彫刻は、野銀村の小学校の入口で海に向かってしっかりと立ち、風に髪をたなびかせながら大空を仰いでいました。

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開元の港にはフェリーが停泊していました。バイクを降りて船を見ていると、キャビンで暇そうにしていた船長さんがデッキに出て来ました。

   「船に乗るのかい?」
   「いえ、ちょっとバイクで島を回ってるだけですけど。いつ出港ですか?」
   「明日の午後二時だよ。」
   「緑島に寄って行くんですか?」
   「いいや、直接台東に行く」

船腹には、富岡(台東)-緑島-蘭嶼と書いてあるのですが、どうやら緑島へは寄らないようです。

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椰油村に小さな造船所があったので、入口近くの小屋でビンロウを売っているおばさんに言って、中を見せてもらいました。達悟族独特の彩色模様で飾られた「タタラ」と呼ばれる丸木船です。この船でトビウオなどの漁をして生計をたてています。一昨年、この手漕ぎ舟「イパンガナ號」に乗って、蘭嶼から台北までの航海があったのを覚えています。

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野銀村と椰油村の小さな教会。台湾の少数民族の多くは、キリスト教によって迫害から庇護された歴史を持っています。

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村の近くにはタロイモの畑が広がっています。この地方の人たちの主食です。

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今日は日曜ですが、椰油小学校では子供たちが遊んでいました。中国式のコマ回しで遊ぶ子と、教室の窓に貼られたスーパーマンのシール。どこの国でも彼は子供たちのヒーローです。

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大きな木の下で・・・豊かな自然に囲まれて育った子供たちは、どんな思いを心に刻むでしょう。

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漁人村の公民館では、「傳統母語歌謡比賽(達悟語を使ったのど自慢)」が開かれていました。近頃プロまがいの舞台度胸を見せる日本の子供たちと違って、出場者は皆一様に人前で歌う恥じらいを見せ、会場の中は犬や子供が走り回り、外ではお年寄りが歌に関係なく世間話に花を咲かせるという、何とも素朴なイベントです。

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真夏のような強い日差しを浴びた海は、昨日とは打って変わって深い蒼色をたたえていました。

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五孔洞は海水の浸食で穿たれた大きな洞窟で、天井から水が滴り落ちる5つの洞窟は中でつながっています。かつてこの場所は達悟族の人たちから「凶悪な魂の巣」と恐れられ、女性や子供たちは立ち入ることを禁じられていました。現在は「蘭嶼區會祷告営地」と書かれた祈祷所があります。

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海岸線を南に向かうと、山の裾野から煙が立ち上るのが見えました。焼き畑です。

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山と海に挟まれた猫の額ほどの畑と、小舟での漁・・・そこには素朴な生活の営みがありました。


台湾便り 太平洋に浮かぶ島 蘭嶼・緑島 [離島]

この週末を利用して蘭嶼(ランユィ)と緑島(リュィダォ)に行ってきました。どちらの島もサンゴ礁に囲まれて、素晴らしいスキューバダイビングスポットがあることで知られています。もう11月も半ばになるとちょっと季節外れですが、閑期の静かな旅もいいかと出かけました。

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台北の松山空港を飛び立ち、鳥石鼻から東海岸に出ると、眼下に紺碧の太平洋が見えました。

新竹もこの所少し気温が下がって来ましたが、台東空港に降りると11月も半ばだというのにムッとする暑さです。ここで16人乗りの双発機「Dornier228」に乗り換えて蘭嶼に向かいます。空港ビルの二階でぼんやり外の景色を見ながら待っていましたが、出発時刻の10:30になっても一向に搭乗手続きが始まりません。天候の回復を待っているので、出発が遅れるとのアナウンスです。台東は晴れているのに、南東にたった80km弱しか離れていない蘭嶼は雨が降っていて、有視界飛行の小型機は飛ぶことができません。結局40分ほど待ったあげくに欠航となりました。

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仕方なくキャンセル待ちのリストに名前を書きましたが、次の便は満席で、午後1:30の飛行機にかろうじて乗れました。待っていた人たちも飛行機が飛んで思わずバンザイです。

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緑島の上空をかすめ、蘭嶼の西端を大きく南に回り込んで、蘭嶼空港に着陸しました。

宿についてバイクを借りて出かけることにしました。旅先で気ままに移動するには、何といってもバイクが便利です。先日、台北で日本の免許を台湾用に書き換えてきましたが、何のことはない何も聞かれずに「400元です」と言われて、バイクのお店に連れて行かれました。一通り説明を受けて、「ところでヘルメットは?」と聞くと、「あ、そんなの要らないです」とそっけない。「危ないから私は被るんです」というと、シートをパカッとあけて見せてくれたけれど、それでもまだ「暑いから入れといたら?」と怪訝な顔つきです。確かに、飛行機で一緒になった若い四人組の女性たちも、ヘルメットを着けずにさっさと二人乗りで出かけました。

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早速、島の西北端にある蘭嶼灯台に行ってみることにしました。

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上り坂の入口でいきなり山羊の群れに出くわしました。山羊にとって人間やバイクの方が怖いのでしょうが、これだけたくさんいてじっと警戒されると、こちらの方が怯んでしまいます。

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蘭嶼は周囲約40kmですが最高地点は標高552mあり、海岸線から一気に山が盛り上がっていて、まるで台湾本島の縮図のようです。

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蘭嶼は火山活動によって出来た島で、火成岩の岩礁に波が当たって複雑な形を作り、

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切り立った尖塔や雙獅岩など、その形に合わせて個性的な名前が付けられています。

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日が傾くにつれて次第に風が強くなり、波しぶきが霧となって海岸道路に降り注いできました。

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息を切らせながら獅子角の舳先まで登ると、ちょうど東清、野銀の集落の向こうに夕日が沈んで行くところでした。

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宿のお兄さんに近くに食堂がないか尋ねると、ベンチで夕涼みしていた女性陣のひとりに声をかけて、すぐ隣の食堂に連れて行ってくれました。さしてたくさんメニューがあるわけではありませんが、「飛魚定食」を頂くことにしました。簡素な食事ですが、この辺りは飛魚が良く採れる所で、美味しい一夜干しでした。右は名前の分からない貝。岩にへばりついているような1cmくらいの貝ですが、磯の香りが香ばしく、酢醤油のような出汁に良く合います。海藻はワカメと寒天の相の子のようで、台湾の人がいわゆる”Q”という食感です。

冬場の平日で宿泊客は殆どおらず、夕食を終えて店から出て来ると、宿の人たちも近所の人たちと一緒に、海岸通りで何やら宴会らしきものをしていました。本島では普段の食事中にあまりお酒を飲みませんが、どうやら蘭嶼では一日の仕事を終えると女性も交えて一杯やりながら、話に花を咲かせるのが皆さんの日課のようです。

明日はゆっくり島を回ってみようと思います。

台湾便り 馬祖 北竿-2 壁山 [離島]

壁山登山

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朝5時、目が覚めるともう空が白んで、海も朝日を浴びて輝き始めました。今日は芹壁の村を抱くように裾野を広げている北竿の最高点「壁山」に登ります。最高点といっても標高298mなので、ゆっくり往復しても2時間弱です。

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民宿の裏手から壁山に通じる永康歩道の石段をゆっくりと登り始めました。見上げると山頂付近は厚い雲に覆われています。雨にならなければ良いのですが・・・。

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こうやって少し上から見ると、閩東建築特有の重石を載せた屋根が良くわかります。

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山頂に近づくほどに霧は濃くなり、時折その中から巨大な施設が忽然と姿を現します。この一帯は登山道以外立ち入り禁止で、あちこちに警告の看板がぶら下がっています。軍事施設の前を通過すると、駐屯地で飼っている犬が寄って来ました。別に吠えたてるわけではありませんが、数匹の犬にじっと見据えられるとちょっと緊張します。

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基地の入口に立っていた歩哨の若者に尋ねると、少し先にある観景台を教えてくれました。天気が良ければ北竿の島全体が見渡せるはずですが、この日は深い霧に閉ざされて視界は全く開けませんでした。

霧の中を歩いていると、林の中のあちこちから鶯の鳴き声が聞こえてきました。「ホーホケキョ」ではなく、「ホ~~スイッチョ」と雛鳥のような可愛らしい鳴き方です。麓に近くなるにつれ、霧が少しずつ晴れてきました。

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宿に戻ると継光餅(ジーグァンビン)と珈琲の朝食を用意してくれました。焼いた味が香ばしく、ちょっとお代わりしたい感じでしたが、賄いの人はひとりで20人近くの人の朝食を用意していたので遠慮しました。

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テラスに開いたパラソルの向こうには、既に水平線から高く昇り始めた太陽に照らされて、海が明るく光っていました。

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ついさっきまで霧に覆われていた壁山の山頂も、青空の中にくっきりと姿を見せました。

しばらくテラスで潮風に吹かれながら、色鮮やかに変わってゆく景色を楽しんで、少し早いですが宿の人にお礼を言って芹壁村を発ち、8時半のフェリーに乗って南竿に戻りました。

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フェリーが福澳港まで来ると、昨晩基隆を出航した「台馬輪」が、丁度港に入るところでした。予想以上に大きな船です。この船が欠航するほどの荒れる海に、昔の人は木の葉のような小船に乗って、台湾を目指して船出したのですね。海上の平穏を祈って「媽祖」への信仰が篤いのも頷けます。

福澳港から南竿の空港まで送ってもらったタクシーの運転手さんに聞くと、今はこんなに暑い馬祖ですが、冬には零度近くまで冷え込むそうです。大陸に近いせいでしょうか。

「二日で帰っちゃうなんて日本人は忙しいねぇ。冬は魚釣りが楽しめるから、またゆっくりおいでよ」と誘われました。

お礼
短い滞在でしたが、お陰さまで鄙びた島の生活の一部を味わうことが出来ました。
Lady Mさん、有難う。

台湾便り 馬祖 北竿-1 芹壁村 [離島]

北竿島-その1

午後3時発の小型フェリー「吉順弐號」に乗って、南竿の福澳港を出航しました。海は穏やかでした。日差しは強いですが、甲板で潮風に吹かれるのも気持ちの良いものです。

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激しく水面を切りながら船が進むにつれて北竿の島影はぐんぐんと近づき、20分ほどで白沙の港に入りました。南竿を出る時に電話を入れておいたので、民宿の青年が港まで車で迎えに来てくれました。

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港は島の南端にあります。右側に坂里の美しい砂浜を見ながらなだらかな坂を上り切ると、程なく行く手に芹壁(チンビー)の村が見えました。石造りの建物が、海に面した急斜面に折り重なるように建っています。芹壁村には南竿の牛角村や莒光の福煕村と同じように、閩東(福建省東部)式の伝統的な建物が、集落の形で保存されています。中国大陸では近年急速な開発によって、閩東式の建物がどんどん失われているので、馬祖の集落は文化遺産としても貴重な存在です。

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宿はコテージ形式で、二階には3つのベッドルームがあり、一階は共通のシャワールーム、トイレとリビングです。リビングとはいってもかんぬきの扉を開ければ、そこはすぐ裏路地です。私は二組のご夫婦とシェアしました。古い石造りの家を改装しているので、決して立派とはいえませんが、簡素な建物はかえって馬祖古来の生活を彷彿とさせます。それに窓や路地から見える景色が何よりの魅力です。

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宿帳に名前を記入する間に、先ほどの青年が冷やした山草茶を持ってきてくれました。海を見ながらテラスでのんびり・・・照り付ける太陽で乾いた身体に染み透るようです。正面に亀島と高登島が見えます。

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荷物を部屋に置いて、村の中を歩いてみました。海に面した海側の視野の広さとは反対に、山側の裏路地は人が肩を触れ合うぐらいに細く、時折廃墟の崩れた石積みの間から、切り取った絵の様に景色が開けます。

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海を越えた向こうには、中国大陸福建省閩江口の山並みも見えました。

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村外れまで来て振り返ると、背後には頂上付近の岩がむき出しになった壁山(298m)が見えました。明日天気が良ければ、日が出て暑くなる前に登ってみましょう。

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少しお腹が空いたので早めに夕食をお願いしました。馬祖の郷土料理「酒糟炒飯(ジョウザオチャオファン)」は、酒糟に漬けた肉と、ネギ、卵、エビの皮などを入れた真っ赤な焼飯です。

夕暮れのひと時

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屋根の上で夕陽を見ながらの語り合い・・・ロマンチックですがちょっと危ないですねぇ。

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海の向こうに陽が沈む頃には、

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芹壁の家々にも明かりが灯り始め、

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いつしか夜の帳が下りました。しばらくすると聞こえるのは浜に打ち寄せる波の音と、テラスで集う人たちから時折上がる喚声・・・夜は静かに更けて行きます。

(「壁山登山」に続く)

【民宿の情報】
『地中海民宿』 馬祖北竿芹壁村54號 TEL 0836-56611, 56612

馬祖の詳しい案内は下記のサイトに出ています。
http://www.matsu-nsa.gov.tw/chinese/index.htm

台湾便り 馬祖 南竿 [離島]

馬祖列島は基隆から台湾海峡を隔てて西北西約200Kmに浮かぶ島、というよりむしろ大陸福建省の閩江口からわずか19Kmという目と鼻の先にある島ですが、連江縣に属するれっきとした台湾の領土で、南竿、北竿、莒光、東引などを含めた大小の島々からなっています。外国人がこの島に自由に渡航できるようになったのは1999年のことです。

昨年「Lady M」さんのブログで紹介されていた北竿島の美しい風景や閩東式の建物を見て、是非訪れてみたいと思っていました。すぐに旅程を組んだのですが、出発当日の晩、基隆からの船が時化で欠航となり、残念ながらキャンセルせざるを得なかったので、余計に思いが募っていました。

ハプニング

朝のフライトは台北の松山空港8:30出発、南竿(馬祖)行き、機種は56人乗りのプロペラ機、ボンバルディアDASH-8-300です。

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実はこの飛行機は、先月帰郷した際に乗った天草エアラインのものと同じ機種で、昨年から着陸時の車輪トラブルがクローズアップされていたのでちょっと気になりましたが、まぁ乗客は飛行機を選べませんからしょうがないですね。

案内に従って8番ゲートに行くと電光掲示板に「馬祖-南竿 準時(定刻通り)」の表示が出ていました。お天気も上々だし、先ずは順調な滑り出しです。搭乗時刻になって機内に進み、自分の座席番号7のD、7のD・・・と探すと、あれぇ左がA、C、右はE、F、Gの5列で、D列がない・・・。おかしいと思ってスチュワーデスに聞くと、「お客様、この飛行機は馬公(澎湖)行きです。お客様の搭乗券は別の便のですよ。すぐに降りて係りの人に言ってください」との返事です。何てことですか。電光掲示板にははっきり南竿行きとあったし、半券をもいだ人も何も言わなかったし、それに南竿行きの飛行機の離陸まで、あと5分しかないではないですか!

機内に進む乗客をかき分けて再びロビーに戻ると、スタッフが「南竿は下に降りて飛行機まで行って下さい。時間がないから走って!」ですと。しかし、もし馬公行きの飛行機にD列があったら、危うく澎湖島に運ばれているところでした。そちらもいずれは行きたいとは思っているんですが、今日は困ります。

さて、私が座るやいなや飛行機はエンジンを始動し、滑走路に向かいました。随分古い機体で、エンジンの音も伝わってくる振動もかなりなものでしたが、50分のフライトの後、無事南竿空港に着陸しました。

南竿

空港から島の南にある北海坑道に向かいました。馬祖は元々は漁業を生業とする静かな島でしたが、1949年に国民党政府になってからは、大陸に対する軍事上の最前線基地となり、至る所に地下道や塹壕が掘られ、大勢の兵士がここに駐留するようになりました。ちなみに弊社でも2人の社員が徴兵の際に、馬祖に駐屯していました。

「今度行こうと思うんだけど、馬祖ってどんな所?景色がとても綺麗なんでしょ?」

と尋ねると、

「な~んも無いとこですよ」

との返事でした。確かに若い兵隊さんにとっては、美しい景色だけでは見飽きてしまうかもしれませんね。

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北海坑道の600mにわたる入り組んだ洞窟は、海水をたたえて美しく光っていました。

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すぐ隣には「大漢據點」があります。薄暗い地下道を進むと、高射砲が置かれたその先端に明かりが見えました。

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素朴な趣の鐵板天后宮、

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軍事基地の鐵堡から海岸線を更に西に進み、

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最南西端の小さな漁村、津沙聚落を通り過ぎて、一旦山間部に入り、南竿で最も標高の高い雲台山(250m)に向かいました。

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山頂からは北竿、東引を初めとした馬祖の島々が手に取るように見えます。

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馬祖」の地名は「媽祖」神の言い伝えから来ています。雲台山から西に下った海岸線の街、馬港には媽祖を祀った廟「馬港天后宮」があります。媽祖として崇められている林黙娘の遺体がこの島に流れ着いたといわれていて、「駐屯している若い兵隊さんたちも、お線香を焚きに来ていました。

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牛角は島の北東の入り江に面した村です。海岸にある廟から見上げると、この村にも閩東(福建東部)式の石造りの住居がいくつか残っているのが見えます。

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浜辺では漁から帰った老人が、舟を岸に引き上げていました。水を含んで重たくなった舟を担ぐのは大変な重労働だと思いますが、砂浜に足を踏み込んで、力いっぱい引いていました。

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島の東にある八八坑道も元々は軍事用でしたが、現在は馬祖酒廠の保存庫として利用されています。普段は扉を閉ざしていますが、丁度前を通りかかった時に扉が開いていたので、お願いして中を見学させてもらいました。

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うず高く積まれた甕から発する陳年酒の熟成した香りが、ひんやりとした坑道の中いっぱいに漂っていました。

さて、そろそろ南澳の港に向かいましょう。北竿に向かうフェリーは歩いて20分程の福澳港から三時に出航します。

(北竿に続く)

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