台湾便り(最終回) 帰国 [アパートの暮らし]
この年末で台湾の滞在を終えて日本に帰ることになりました。今日が台湾で最後の出社日となり、皆がお別れ会を開いてくれました。最後に思いがけず全員で工場の玄関まで見送ってくれた時は、眼鏡越しの夕暮れの景色が少しゆがんで見えました。
過ぎ去ってみればあっという間の三年間でした。
来た当初は全く中国語が分からず、仕事以外での意思疎通の手段は唯一筆談。見よう見まねで異国での一人暮らしを始め、今にして思えばなかなか手間のかかる生活でした。それでも無事に過ごすことができたのは、「まぁなんとかなるわいな」といった持ち前の気楽な性格と、何はさておいても周りにいた親切な台湾の人たちと家族の理解のおかげです。
仕事で良き仲間に恵まれたのは勿論のことですが、私生活でも山や海に誘ってくれたクラブの仲間、春の祭りや食事に招いてくれた北門街の鄭さん、しばらく行かないと「好久没看到呢(しばらく見かけなかったねぇ)」と声をかけてくれる朝市のおじちゃん、おばちゃん、散髪屋さん、小吃店の店員さん、そして旅先で出会った人たち・・・数え上げれば切りがなく、この国の人たちの温かさは心にしみます。
病床の母にいつも気を配り、最後を看取ってくれた太太がいなければ、台湾での仕事を終えることは到底できませんでした。
時に海を越えて訪ねて来てくれた友との楽しい語らいが、一人暮らしのエネルギー補給となり、また、こちらに来てから知った数多くの「台湾大好きブロガー」の方たちの記事も、日々の楽しみを増やしてくれました。
これまで多くの国を訪れました。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、少し遠い西アフリカ諸国や内モンゴルの砂漠地帯・・・それぞれに印象深い旅でしたが、住んでみて初めてその国が分かるという意味で、台湾での生活はこれまでとは違った形で私の記憶に刻まれました。
戦前の大先輩や、今もこの国に長く暮らす日本の方々に比べれば、三年という月日は浅く、未だ台湾の入口を垣間見た程度にしか過ぎません。 いざ「これでおしまい!」となると、あれもしたかった、ここにも行きたかったと、想いが残るのは人生の常ですが、それでも限られた時間の中で、自分なりに貴重な体験ができたと思っています。
美しい山や海、今なお残る原住民・大陸・ヨーロッパ・日本文化の足跡、いつも線香の絶えない廟、祭りの喧騒、朝市や夜市のにぎわい、我先のオートバイなどに見るエネルギッシュな庶民生活とにこやかな笑顔・・・仕事でお世話になった新竹・台中・台南の科学園区で見た急速な経済発展の姿とは違った意味でとても印象深く、これからも折に触れて懐かしく思い出すことでしょう。
ブログを見た会社の人の中には、「ヒデさん、台湾で仕事してないんじゃないの?」なんて言っている人もいたようですが、それはあらぬ疑いで、仕事で多少疲れていても、部屋にこもっていないで出かけたくなるような魅力が、台湾にはたくさんあるのです。
台湾を去る今、懐かしい情景の数々が思い起こされます。
青い海
山と渓谷
森と湖
老街(ラオジェ)の古い町並み
お線香が絶えない廟
賑やかな祭り
古き時代の名残りを留める建物
日々の生活に見る様々な文化
美味しい食べ物
活気あふれる市場
そして何よりもたくさんの笑顔・・・
家族への便りのつもりで、思いつくままに書き留めて来たブログの記事も400を数えましたが、台湾を離れるに当たって一旦筆を置こうと思います。これまでご愛読いただいた多くの方々にお礼を申し上げるとともに、今後は皆さまのブログの読者として、お便りを楽しませていただこうと思っています。三年間有難うございました。
そして、
ありがとう台湾!
それでは皆様お元気で! また、どこかでお目にかかりましょう。
謝謝大家、再見。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
各位親愛的blog讀者、大家好。
我将在這年底離開台湾。光陰似箭。時間過得真快。
我想起三年前第一次來台湾的時候、従飯店的窗戸眺望新竹市的夜景時、
感覚到跟日本有著微妙差異的空氣、同時想著将要開始的異郷生活。
天天面臨著許多事、在公司的工作啦、日常生活啦都有點兒不容易。
那様的時候很多台湾人都親切地幫助我。
我好久去水源傳統市場的時候、有些老板叫我説、
「好久没看到呢!回去日本嗎?」
這様的會話譲我鼓起勇氣在台湾生活。
不用説、如果没有太太経常照顧我媽媽、在台湾的工作是不可能継続的。
留下來的是一串串的回憶。徐了遇到好同仁的工作以外
大聲加油的划龍舟、氣喘吁吁的爬山、有的時候自己一個人去的旅行等等。
這一切的一切都如走馬灯般 一幕幕地出現在眼前。
可是最高興的事是這三年的時間譲我変得非常喜歓台湾。
尉藍的海、険峻的山峰、以及台湾人的熱情
這些景象将永遠永遠的深印在我的脳海中永難忘壊。
我非常感謝這三年來在台湾度過。
在離別的時候、一股無名的感覚湧上心頭。但是有聚必有散只好接受。
原來對家人寫起來的這部blog己經超過400編、
但是我想回去日本的現在、就停到這裡。
我們或許在什麼地方會再踫面。
最後請譲我再次對大家表達我誠摯的謝意。
謝謝大家、謝謝台湾!
過ぎ去ってみればあっという間の三年間でした。
来た当初は全く中国語が分からず、仕事以外での意思疎通の手段は唯一筆談。見よう見まねで異国での一人暮らしを始め、今にして思えばなかなか手間のかかる生活でした。それでも無事に過ごすことができたのは、「まぁなんとかなるわいな」といった持ち前の気楽な性格と、何はさておいても周りにいた親切な台湾の人たちと家族の理解のおかげです。
仕事で良き仲間に恵まれたのは勿論のことですが、私生活でも山や海に誘ってくれたクラブの仲間、春の祭りや食事に招いてくれた北門街の鄭さん、しばらく行かないと「好久没看到呢(しばらく見かけなかったねぇ)」と声をかけてくれる朝市のおじちゃん、おばちゃん、散髪屋さん、小吃店の店員さん、そして旅先で出会った人たち・・・数え上げれば切りがなく、この国の人たちの温かさは心にしみます。
病床の母にいつも気を配り、最後を看取ってくれた太太がいなければ、台湾での仕事を終えることは到底できませんでした。
時に海を越えて訪ねて来てくれた友との楽しい語らいが、一人暮らしのエネルギー補給となり、また、こちらに来てから知った数多くの「台湾大好きブロガー」の方たちの記事も、日々の楽しみを増やしてくれました。
これまで多くの国を訪れました。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、少し遠い西アフリカ諸国や内モンゴルの砂漠地帯・・・それぞれに印象深い旅でしたが、住んでみて初めてその国が分かるという意味で、台湾での生活はこれまでとは違った形で私の記憶に刻まれました。
戦前の大先輩や、今もこの国に長く暮らす日本の方々に比べれば、三年という月日は浅く、未だ台湾の入口を垣間見た程度にしか過ぎません。 いざ「これでおしまい!」となると、あれもしたかった、ここにも行きたかったと、想いが残るのは人生の常ですが、それでも限られた時間の中で、自分なりに貴重な体験ができたと思っています。
美しい山や海、今なお残る原住民・大陸・ヨーロッパ・日本文化の足跡、いつも線香の絶えない廟、祭りの喧騒、朝市や夜市のにぎわい、我先のオートバイなどに見るエネルギッシュな庶民生活とにこやかな笑顔・・・仕事でお世話になった新竹・台中・台南の科学園区で見た急速な経済発展の姿とは違った意味でとても印象深く、これからも折に触れて懐かしく思い出すことでしょう。
ブログを見た会社の人の中には、「ヒデさん、台湾で仕事してないんじゃないの?」なんて言っている人もいたようですが、それはあらぬ疑いで、仕事で多少疲れていても、部屋にこもっていないで出かけたくなるような魅力が、台湾にはたくさんあるのです。
台湾を去る今、懐かしい情景の数々が思い起こされます。
青い海
山と渓谷
森と湖
老街(ラオジェ)の古い町並み
お線香が絶えない廟
賑やかな祭り
古き時代の名残りを留める建物
日々の生活に見る様々な文化
美味しい食べ物
活気あふれる市場
そして何よりもたくさんの笑顔・・・
家族への便りのつもりで、思いつくままに書き留めて来たブログの記事も400を数えましたが、台湾を離れるに当たって一旦筆を置こうと思います。これまでご愛読いただいた多くの方々にお礼を申し上げるとともに、今後は皆さまのブログの読者として、お便りを楽しませていただこうと思っています。三年間有難うございました。
そして、
ありがとう台湾!
それでは皆様お元気で! また、どこかでお目にかかりましょう。
謝謝大家、再見。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
各位親愛的blog讀者、大家好。
我将在這年底離開台湾。光陰似箭。時間過得真快。
我想起三年前第一次來台湾的時候、従飯店的窗戸眺望新竹市的夜景時、
感覚到跟日本有著微妙差異的空氣、同時想著将要開始的異郷生活。
天天面臨著許多事、在公司的工作啦、日常生活啦都有點兒不容易。
那様的時候很多台湾人都親切地幫助我。
我好久去水源傳統市場的時候、有些老板叫我説、
「好久没看到呢!回去日本嗎?」
這様的會話譲我鼓起勇氣在台湾生活。
不用説、如果没有太太経常照顧我媽媽、在台湾的工作是不可能継続的。
留下來的是一串串的回憶。徐了遇到好同仁的工作以外
大聲加油的划龍舟、氣喘吁吁的爬山、有的時候自己一個人去的旅行等等。
這一切的一切都如走馬灯般 一幕幕地出現在眼前。
可是最高興的事是這三年的時間譲我変得非常喜歓台湾。
尉藍的海、険峻的山峰、以及台湾人的熱情
這些景象将永遠永遠的深印在我的脳海中永難忘壊。
我非常感謝這三年來在台湾度過。
在離別的時候、一股無名的感覚湧上心頭。但是有聚必有散只好接受。
原來對家人寫起來的這部blog己經超過400編、
但是我想回去日本的現在、就停到這裡。
我們或許在什麼地方會再踫面。
最後請譲我再次對大家表達我誠摯的謝意。
謝謝大家、謝謝台湾!
台湾便り ギター演奏会 [アパートの暮らし]
今日はお隣りの交通大学で、大萩康司さんと福田進一さんのギターコンサートを聴いてきました。
第一部は大萩さんの独奏で、藤井敬吾、Brower、Ginastera の現代作品、第二部はガラッと趣向を変えて、福田さんとの二重奏で、スペインロマン派の、グラナドス、アルベニス、ファリャの作品でした。
福田さんは昨年の12月以来一年ぶり22回目、大萩さんは初めての台湾公演だそうですが、小さな会場で聴衆と距離が近いこともあってか、温かい雰囲気の演奏会でした。
久しぶりに美しい生のギターの音を楽しみました。
演奏会が終わって、ロビーでサイン会。二人とも舞台のタキシードを着替えてカジュアルです。
第一部は大萩さんの独奏で、藤井敬吾、Brower、Ginastera の現代作品、第二部はガラッと趣向を変えて、福田さんとの二重奏で、スペインロマン派の、グラナドス、アルベニス、ファリャの作品でした。
福田さんは昨年の12月以来一年ぶり22回目、大萩さんは初めての台湾公演だそうですが、小さな会場で聴衆と距離が近いこともあってか、温かい雰囲気の演奏会でした。
久しぶりに美しい生のギターの音を楽しみました。
演奏会が終わって、ロビーでサイン会。二人とも舞台のタキシードを着替えてカジュアルです。
台湾便り Christophe Boulier 演奏会 [アパートの暮らし]
今宵はChristophe Boulier さんのバイオリン演奏会を聴いてきました。
プログラムは Paganini の Caprices 選集と Saint-Saens、それにYsayeの作品でした。
ポスターには「ヤッシャ・ハイフェッツの再来」とありますが・・・。1984年にLong-ThibaudコンクールでGrand-Prixを受賞した19歳の青年は、それから20余年の月日を経て円熟味を増し、超絶技巧曲をものともせず、バイオリンの奏でる音は、ピアノが彩る空間を自由奔放に飛び交っていました。
演奏会の後は、台湾恒例のサイン会でした。ピアノ伴奏のAgathe Lavaudさんと。
プログラムは Paganini の Caprices 選集と Saint-Saens、それにYsayeの作品でした。
ポスターには「ヤッシャ・ハイフェッツの再来」とありますが・・・。1984年にLong-ThibaudコンクールでGrand-Prixを受賞した19歳の青年は、それから20余年の月日を経て円熟味を増し、超絶技巧曲をものともせず、バイオリンの奏でる音は、ピアノが彩る空間を自由奔放に飛び交っていました。
演奏会の後は、台湾恒例のサイン会でした。ピアノ伴奏のAgathe Lavaudさんと。
台湾便り 大型台風襲来 [アパートの暮らし]
雙眼(ふたつ目)の大型台風「辛樂克(13號)」が東海岸からやって来ました。半径250kmもある暴風雨圏で台湾全土をすっぽりと包んだまま、時速7kmという超低速運転で足踏みをしています。
強風にあおられて雨が吹き上げられていますが、
こんな時でも、水しぶきを上げながらバイクが走り抜けて行きました。 さすが台湾!
大きさと速度から単純に計算すると、台風が抜けるまで三日三晩、この週末は缶詰ですかね。う~ん、食糧が底を突く・・・。
強風にあおられて雨が吹き上げられていますが、
こんな時でも、水しぶきを上げながらバイクが走り抜けて行きました。 さすが台湾!
大きさと速度から単純に計算すると、台風が抜けるまで三日三晩、この週末は缶詰ですかね。う~ん、食糧が底を突く・・・。
台湾便り 雪山山脈 [アパートの暮らし]
夜半から吹いた強い風に地上の塵が吹き払われて、今朝は窓からくっきりと山並みが見えました。
地上にまだ灯を残したまま東の空が明るくなって、
「あの山の奥に見えるのは雲かしら?」という太太の指さす方向には、雪山山脈が朝日に輝いていました。
大覇尖山(3505m)の大絶壁
なだらかに裾を引く雪山北峰(3703m)と雲を頂いた主峰(3886m)・・・
新竹は平地から「聖稜線(雪山から大覇尖山に到る雲上の道)」が最もよく見える場所なのです。
早朝のつかの間、雪山山脈はその美しいシルエットを私たちに見せて、立ち上る靄の向こうに早々と姿を隠してしまいます。
今日も一日暑くなりそうです。
地上にまだ灯を残したまま東の空が明るくなって、
「あの山の奥に見えるのは雲かしら?」という太太の指さす方向には、雪山山脈が朝日に輝いていました。
大覇尖山(3505m)の大絶壁
なだらかに裾を引く雪山北峰(3703m)と雲を頂いた主峰(3886m)・・・
新竹は平地から「聖稜線(雪山から大覇尖山に到る雲上の道)」が最もよく見える場所なのです。
早朝のつかの間、雪山山脈はその美しいシルエットを私たちに見せて、立ち上る靄の向こうに早々と姿を隠してしまいます。
今日も一日暑くなりそうです。
台湾便り 停班停課 [アパートの暮らし]
台風「鳳凰」が東の海上からまともに花蓮に上陸し、金門と連江(馬祖)を除く台湾全土が「停班停課」(会社も学校も全部休み)となっています。ということで、私も自宅待機・・・。テレビのニュースでは、合羽を着てずぶぬれになったキャスターが、転びそうになりながら声を張り上げて実況中継しています(日本もそうですが、何でこういうことをしたがるのか不思議です)。
台風快訊(速報)では、「全台停班停課」、「最大陣風16級」、「花蘇公路落石」、「道路淹水(冠水)」などの字が画面を飛び交っています。
中央山脈にさえぎられているとはいうものの、アパートに吹き付ける東の風はかなりの強さで、雲もちぎれんばかり、
交通大学の噴水の放水も強風にあおられて、水面に着く前に霧となって飛び散ってしまいます。
こんな日に、わざわざ水をまかなくてもいいと思うのですが・・・。
台風快訊(速報)では、「全台停班停課」、「最大陣風16級」、「花蘇公路落石」、「道路淹水(冠水)」などの字が画面を飛び交っています。
中央山脈にさえぎられているとはいうものの、アパートに吹き付ける東の風はかなりの強さで、雲もちぎれんばかり、
交通大学の噴水の放水も強風にあおられて、水面に着く前に霧となって飛び散ってしまいます。
こんな日に、わざわざ水をまかなくてもいいと思うのですが・・・。
台湾便り 思池 [アパートの暮らし]
夕暮れのキャンパスを散歩すると、
池のほとりの遊歩道には、黄色い花が満開で、
日本庭園「思園」の池では、ついこの間まで小さな雛だったコガモたちが、今ではどれが親だか見分けがつかないぐらいにまで成長していました。
それでも一羽が移動すると、行列を作ってその後からチョコチョコ付いて行くので、きっと先頭が親でしょうね。
隣の池に移ると、またみんな思い思いに水浴びを始めました。この鴨たちもいずれ巣立って行くんでしょうね。
暑い夏、緑いっぱいの交通大学のキャンパスは、夕涼みをする家族連れの憩いの場です。
池のほとりの遊歩道には、黄色い花が満開で、
日本庭園「思園」の池では、ついこの間まで小さな雛だったコガモたちが、今ではどれが親だか見分けがつかないぐらいにまで成長していました。
それでも一羽が移動すると、行列を作ってその後からチョコチョコ付いて行くので、きっと先頭が親でしょうね。
隣の池に移ると、またみんな思い思いに水浴びを始めました。この鴨たちもいずれ巣立って行くんでしょうね。
暑い夏、緑いっぱいの交通大学のキャンパスは、夕涼みをする家族連れの憩いの場です。
台湾便り 朝市の新鮮野菜 [アパートの暮らし]
一昨日、台風が台湾の東側をかすめたので、各地で大雨の被害が出ています。テレビでは野菜の値上がりが報道されていましたが、今朝の水源朝市はいつも通りの賑わいで、元気の良い野菜を沢山買ってきました。
瑞々しい空芯菜、茎を切る時にシャキシャキという小気味いい音がします。
プチトマトは手軽なビタミン源。台湾の人は実にこのプチトマトが好きですね。食事の時にポリポリ、おやつ代わりにポリポリ・・・。 で、プチトマトを買うと、小さな袋に入ったふりかけをつけてくれます。このふりかけは「酸梅塩」という名前で、梅の粉、精塩、ブドウ糖、甘草、砂糖が入っています。袋にも絵が書いてあるように、野菜、果物何にでも万能なようです。私はシンプルに塩をかけて食べるのが好きですが。
ボールみたいに丸々と太った茄子があったので、焼き茄子にしてみましたが、少し粘っこい感じがします。「☆ひとつ半」かな。
手工拉麺を売っていたので、お昼は素食麺にしました。この麺は少し太めですが、このあいだの意麺よりラーメンには合うようです。
台風が通り過ぎて、また暑くなってきました。
瑞々しい空芯菜、茎を切る時にシャキシャキという小気味いい音がします。
プチトマトは手軽なビタミン源。台湾の人は実にこのプチトマトが好きですね。食事の時にポリポリ、おやつ代わりにポリポリ・・・。 で、プチトマトを買うと、小さな袋に入ったふりかけをつけてくれます。このふりかけは「酸梅塩」という名前で、梅の粉、精塩、ブドウ糖、甘草、砂糖が入っています。袋にも絵が書いてあるように、野菜、果物何にでも万能なようです。私はシンプルに塩をかけて食べるのが好きですが。
ボールみたいに丸々と太った茄子があったので、焼き茄子にしてみましたが、少し粘っこい感じがします。「☆ひとつ半」かな。
手工拉麺を売っていたので、お昼は素食麺にしました。この麺は少し太めですが、このあいだの意麺よりラーメンには合うようです。
台風が通り過ぎて、また暑くなってきました。
台湾便り 交通大学の蓮池 [アパートの暮らし]
夕方いつものように交通大学のキャンパスに散歩に行くと、
いつの間にか資訊学部の前の池が、蓮の葉で被い尽くされていました。
ようく見ると、葉の間には、まだ蕾を硬く閉じているもの、ようやく少し膨らんできたもの
そして、見事に咲き誇ったもの・・・
一枚一枚の花弁は、まるで絹のように柔らかく繊細です。
いつの間にか資訊学部の前の池が、蓮の葉で被い尽くされていました。
ようく見ると、葉の間には、まだ蕾を硬く閉じているもの、ようやく少し膨らんできたもの
そして、見事に咲き誇ったもの・・・
一枚一枚の花弁は、まるで絹のように柔らかく繊細です。