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台湾便り 素食餐廳 [台湾の食べ物]

今日は会社のお嬢さんの結婚披露宴に出席しました。会場は披露宴としては珍しく素食レストランで、出てくるメニューはすべてベジタリアンフード、そしてお茶とジュースです。
しかし何とも上手に作ってあって、油揚げで作った鶏の烤肉など見た目は変わりません。刺身風のこんにゃくにはわざわざワサビ醤油までついてきました。

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そして、ちょっと食べかけで写真が良くないですが、食感と味までだまされたのは、魚のフライあんかけ・・・かじった瞬間少し脂の乗った白身魚かと思いきや、実はエリンギに似たキノコを使っていました。

次から次へと出てくるメニューは、お米で作った貢丸スープ、湯葉を丸めたミートボール・・・・
でも無理に外見を似せようとして、油で揚げているものが多く、折角ヘルシーが売り物のベジタリアンなのに、却って身体に良くないのではないかと・・・老婆心ながらちょっと気になった私です。

【お店の情報】
『如聞心斎(素食餐廳)』 竹北市光明一路458號 Tel 03-555-8310

秋の里山 [番外]

日本はもうめっきり秋になりました。

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田んぼでは、たわわに実った稲の穂が頭を垂れ、

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刈り取られた稲が程よい大きさに束ねられています。

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あぜ道の脇には、昔お手玉や首飾りにした草の実や

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赤い水引。

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季節の移り変わりとともに、この間まで手をひかれていたこの子も、階段を駆け上がるまでに成長しました。


台湾便り 散歩 [新竹]

じっと見つめるその眼の先には

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風に乗って夕日に輝く、レースのような水しぶき

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長居した台風が去って、この週末は久しぶりに良いお天気です。
交通大学 竹湖のほとりには、巣立ってひと夏を越した若鳥を交えて、鴨の家族が陸に上がって羽根繕いをしていました。
いつ頃旅立つのでしょうか。

台湾便り 新竹米粉貢丸節 [新竹]

今日は新竹コミュニティから連絡を頂いた「新竹米粉・貢丸節」に行ってきました。新竹といえば何といっても米粉(ミィフン)と貢丸(ゴンワン)が名産で、これまで貢丸節は行ったことがありますが、米粉節は初めてです。

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経国路から延平路を右に入ってすぐの会場にやって来ると、丁度子どもたちが長い米粉を担いで、元気良く会場から出て来たところでした。

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あたしたちもエッサカホイサカ・・・

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皆について裏路地をどんどん入って行くと、

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着いた所は「曾合興米粉工業有限公司」の工場でした。全長360mの世界一長い米粉です。世界一と入っても米粉を作っている所は限られていて、実はこれまでの記録もこの工場で作ったものだそうですから、自己記録更新といったところですね。

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さて米粉を乾燥させるには、このなが~い米粉を適量つかみ取り、二本のお箸を使って上手に広げて、竹網の上で天日に干します。
この時、新竹の強い海風が、丁度良い乾き具合にしてくれるのです。

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会場には新竹米粉組合の各社が出店し、それぞれのテントいっぱいにうず高く米粉を積み上げていました。

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試食コーナーは長蛇の列です。

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わたしも一丁前にお手伝い

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大きなテントの奥にある舞台では、子供たちの表演が始まり、

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「ミス新竹」との記念撮影など、皆さん大変盛り上がっていました。

「米粉節」は今日明日の二日間開かれ、来週末は「貢丸節」に変わります。こちらはおなじみの北門街で行われますので、行かれる方はお間違いのないように。

(ナガナガさん、おかげ様で場所を間違わず、すんなり見つかりました。有難うございました。)

台湾便り 麻豆文旦 [台湾の果物]

昨日、文旦(ウェンタン)を頂きました。

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文旦はインドネシアやマレー半島が原産で、長崎のザボンや熊本のバンカンも文旦の仲間です。台湾のものは中国大陸南部から渡来したもので、特に台南縣麻豆鎮は名産地です。

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さて、霧のように汁がはじける分厚い皮を剝いてみると、

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中から瑞々しい房が出てきました。甘さも控え目で上品な味です。少しザラメ砂糖を振りかけて冷蔵庫で冷やすと、とても美味しく頂けます。

完熟する季節はもう少し先ですが、文旦が出て来ると「秋だなぁ」と思います。

台湾便り 大型台風襲来 [アパートの暮らし]

雙眼(ふたつ目)の大型台風「辛樂克(13號)」が東海岸からやって来ました。半径250kmもある暴風雨圏で台湾全土をすっぽりと包んだまま、時速7kmという超低速運転で足踏みをしています。

強風にあおられて雨が吹き上げられていますが、

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こんな時でも、水しぶきを上げながらバイクが走り抜けて行きました。 さすが台湾!

大きさと速度から単純に計算すると、台風が抜けるまで三日三晩、この週末は缶詰ですかね。う~ん、食糧が底を突く・・・。

台湾便り 中秋節 [台湾の文化]

今週末の日曜は、農民暦八月十五日の中秋節です。

毎年この時期には、皆さんが「月餅の贈り物合戦」をしていますが、

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今日頂いたのは欣葉の「馨緑香蘭」・・・緑豆餡が羊羹のような歯ざわりです。

外側もボロボロと崩れることもなく、「さすが欣葉」と感心しました。

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満月までにはまだ数日ありますが、

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夜空に仲良く浮かぶお月さんと金星を見ながら、またまた食べてしまいました。

「メタボに注意!」 

台湾便り 花蓮 [東海岸]

今日は社員旅行で東部海岸の花蓮にやって来ました。台湾の社員旅行は、昔の日本のように家族連れが一般的で、今回はお子さんたちが楽しみにしていた海洋公園が目玉なのですが、近くにある日本時代の名残の地も訪ずれると聞いて私も参加しました。

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花蓮の市街から海岸線を南に走ると、遠く花蓮の港が望める高台に海洋公園があります。

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イルカのショーや、

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ウォーターシュート、ジェットコースターなどの乗り物もあって、皆さんそれぞれに楽しんでいました。 
正直なところ私はちょっと時間を持て余し気味でしたが・・・。

萬榮郷林田山

海洋公園から一旦内陸に少し入って南に下ると、かつて日本統治時代に林業の基地として栄えた萬榮郷林田山林場があります。戦後国民党の時代がやって来ると追われるように立ち去った日本人の町は、今では殆ど荒れていますが、

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木材運搬に使われたトロッコ電車の線路や、閑散とした展示館に保存されている日本製の映写機などが、かろうじて当時の生活を偲ばせます。

花蓮糖廠

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国道9号線を更に南に下った光復郷にある花蓮糖廠文物館には、台湾で製糖工業が始まった当時に使われた、サトウキビ刈り取りのコンバインや運搬用の貨物列車が雨ざらしのまま残されていました。

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現在台糖の工場となっている花蓮糖廠が、前身の大和工場と呼ばれていた時代の写真には、日本人技術者が家族とともに写っていて、つい半世紀近く前までこの国と日本とが、深い絆で結ばれていたことを改めて感じました。

秋の気配 [番外]

夏の暑さもようやく峠を過ぎて、


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影の伸びる夕暮れ時には、秋の気配を感じるようになりました。

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            お魚さん、君は一日中お水の中で何してるの?


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僕は足の向くままテクテクと気ままな旅さ。


   ****************

チビちゃんのお散歩について行きました。 

工事中のトラックのバックミラーで百面相をしたり、

やおら走り出したり、

かと思うとしゃがみ込んでじっと虫の動きを見つめたり、

踊ったり歌ったり

   ・・・

ちょっと振り回されますが、

子供は発想が自由でいいですねぇ

私たちにも、皆こういう時代があったんですよね?

台湾便り 猫空、木柵茶園 [台北]

猫空・・・マオコンと読みます。午後の飲茶を楽しむために、捷運に乗ってやって来ました。台北市の南にある文山区猫空の小高い丘陵は、中国武夷、安溪一帯から伝わった鉄観音茶の産地として知られています。

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週末の今日は大変な人出で、覧車(ロープウェイ)の動物園駅では整理券が出され、乗るまでに30分ほどかかりました。

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動物園駅を出発して次第に高度が上がると、眼下に台北の街並みが広がり、園内駅、指南宮駅を経て猫空駅まで、全長4km、約20分にわたる空中散歩が楽しめます。

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覧車が開通したお蔭で、木柵茶園への足は一気に便利になりました。猫空駅前からつながる指南路沿いには、台北を見下ろす山の斜面に茶店が点在し、観光客で賑わっていました。

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私たちもその中の一軒に立ち寄り、午後の飲茶を楽しみました。見通しの良いテラスに座ると、先ほど乗って来たロープウェイの向こうには、台北の町が見渡せます。少し空模様が怪しかったのですが、それでも遠くにうっすらと浮かぶ観音山の姿を見ることができました。

台湾便り 林家花園(林本源園邸) [台北]

板橋市、捷運府中駅から府中路を西に少し歩くと、緑に包まれた6000坪の広大な敷地を持つ林家花園(林本源園邸)があります。1778年に中国福建省から台湾に渡来した林家が、数代にわたって築いた財を用いて清朝後期(1847年)に建てた閩南式建築の住居と、その後1893年に作られた庭園です。

清の時代には、台湾の各地で豪族や官僚、名士がこぞって庭園を造りました。中でも新竹鄭家の「北郭園」、台南の呉園、板橋の林家花園(林本源園邸)、霧峰林家の莱園は、「台湾の四大名園」と呼ばれています。時代の変遷や開発によって多くの庭園が失われていく中で、林家花園は往時の状態をほぼそのままに再現した貴重な文化遺産です。

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門を入ると正面に、敷地を奥まで真っ直ぐに貫く道があります。右手が林家の邸宅(三落大厝)、左手が庭園です。この道の両脇には、林家が北台湾の経営を国から一手に引き受けて財を成す基となった楠の大木が並んでいます。

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中門をくぐってすぐ左手にある観稼樓から、北に広がる榕蔭大池の散歩道を通り抜けると

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賓客をもてなす四合院形式の定静堂があります。

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中庭に出ると、地上いっぱいに根を広げた大木が、夏の太陽を遮って涼しい木陰を作っていました。

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月波水榭の東屋から、格子越しに眺める月はきれいでしょうね。

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少し暗く長い回廊を南に抜けると

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來青閣に出ました。客人を迎えるこの建物の二階からは、その名の通り辺り一帯の緑が目に入ります。

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敷地の一番南には、林家の書籍を集めた「汲古書堂」があります。

三落大厝

三落大厝は現在も林家の所有であるため、普段は門が閉ざされていますが、林家花園の入口で申し込むと、定められた時間にガイドさんが邸内を案内してくれます。

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林家の住居「三落大厝」は北西に向かって開けていて、当時は船で淡水河に通じ、遠くには観音山を眺めることができたようです。四合院形式を持つこの建物は、門廳、正堂、後堂の三進形式で、左右の護龍と合わせて52の部屋があります。

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建築に際して、瓦や木材は中国大陸の福建から、石材は観音山から運んだようです。門廳の壁には煉瓦で造った美しい模様がありました。

林家花園は台湾に現存する数少ない伝統的な閩南式の園林建築で、現在保存されているものは、台湾大学土木工事所都市計画部が1982年から4年の歳月をかけて、原型に忠実に再現したものです。庭園の随所に織り交ぜられた建物と池、樹木などの組み合わせが、見る者を楽しませてくれます。機会があれば是非訪れてみてください。

【林家花園(林本源園邸)の情報】
台北縣板橋市流芳里西門街9號  TEL 02-2965-3061
詳しくは下記サイトを参照ください
http://www.linfamily.tpc.gov.tw

台湾便り 高雄の夏 その2  [南部]

日が高くなる前の涼しい時間、早朝の愛河河畔では、それぞれにゆっくりとした時間を楽しむ人たちがいました。
犬の散歩、サイクリング・・・。

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店の上のベランダに並んだたくさんの酒甕、夜の喧騒とネオンは消えて、静かな朝が始まります。

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河畔に住む人たちの静かな眠りを守るための工夫は効果があるのでしょうか。 

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高雄橋のたもとで、釣りを楽しむ人たち。

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港までやって来ると、苓雅の高層ビルが朝日に輝いていました。

玫瑰聖母堂

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五福三路に玫瑰聖母堂があります。玫瑰(メイグェイ)はバラのことで、カトリック教会が聖母マリアの雅称として用いている「奇しきばらの花」(Rosa Mystica)に因んでいます。台湾でカトリックの布教が始まったのは明朝末期の1626年にスペインが三貂角に上陸した時ですが、その後オランダ人による台湾南部占領によって布教は一時途絶え、高雄で再び布教が始まったのは清朝末期のことです。1859年に前金の海岸に近いこの地に布教のための簡素な建物が建てられました。

私たちが訪れると、6時に始まったミサが丁度終わったところでした。三々五々出てくる人たちの流れの中に佇んでいると、戸口にいた女性が「どちらから来ましたか?」と尋ねました。「日本人です」と答えると、「日本人のシスターがいるから」と、わざわざ呼んできてくれました。やさしく笑みを浮かべて出てこられた小柄な女性は、書籍館の仕事をされている長野県出身のシスターで、台北の教会に25年、ここ高雄に来て既に8年、30年以上も台湾にいらっしゃるそうです。山の好きな私が度々訪れた信濃の話をすると、懐かしそうに聞かれていました。しばらく立ち話をした別れ際に、「旅のご無事を」といって送って頂きました。


高雄市立歴史博物館

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市立博物館には、日本統治時代、終戦直後の二二八事件などを含めて多くの資料が展示されています。興味を惹いたのは、技師川上浩二郎が土木局長心得長尾半平宛てに上奏した「打狗港調査報文」です。明治38年9月8日付と記されたその報告書には、縮尺六千分之一の築港計劃圖とともに工事計画の詳細が記されています。計画図によると、鹽埕と苓雅庄に挟まれた沿海部(現在の高雄港一帯)は、ほとんどが塩田や養魚池でした。定点観測により湾内土砂の移動状況を調査し、綿密に計画したことが良くわかります。明治41(1908)年から総工費は473万円(当時)と6年の歳月をかけて完成した高雄港は、アジア有数の貿易港としてその後発展する基礎を確固たるものにしました。

人口の大半が大陸河洛語圏からの移住者である高雄では、日本統治時代に澎湖や台南から移住した人たちや客家の人々、更には戦後国民党とともにやって来た人たち、少数民族である原住民を含めた後の移住者が、鹽埕や鼓山、三民、左營、小港などの地区に住み分けています。それぞれの地区にある文武聖殿や媽祖廟、義民廟、キリスト教長老教会などが、現在の生活の中で個別の文化を引き継いでいるのを知ることも興味深いことでした。

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2日間の短い訪問の最後に、苓雅区にある東帝士85大樓の展望台に上りました。高さ378mのこのビルは、台北101に次ぐ台湾第二の高層ビルです。高速エレベーターで74階まで一気に上ると、晴れ渡った青空の下に広がる高雄の町は、沿岸の殆どを占める港と町を南北に貫く愛河、陸の動脈仁愛・中山路を中心に発展しているのが手に取るように分かりました。

台湾便り 高雄の夏 その1 [南部]

暑い夏の盛りですが・・・ちょっと高雄に出かけました。

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かつてのこの町の名前が残されている鼓山区「打狗(タカオ)」の海岸線を走る蓮海路から急な階段を登ると、紅煉瓦の建物「旧英國領事館」があります。

この建物は1865年に台湾で初めて建てられた洋風建築で、1867年から1910年まで英国領事館として使われていました。その後1931年から1973年まで気象観測所として使われましたが、1986年に台風で廃墟同然になった建物を高雄市が全面的に修復し、現在は民間のホテルに運営を委ねています。

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眼下に鼓山と旗津を結ぶフェリーが、白い曳航をひいてゆっくりと進むのが見えました。

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午後の日差しは強いですが、それでも可可椰子(ココヤシ)の葉蔭で風に吹かれていると心地よく感じます。

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庭のベンチに腰かけて、サンドイッチ&ケーキセットなるものを頂きながら、しばしの休憩です。太太は台湾に来て「久しぶりに美味しいサンドイッチを食べた」と嬉しそうでした。

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小高い丘の上にあるこの建物のテラスからは、高雄港を挟んで苓雅区の高層ビル群を見渡すことができます。

夜市

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ホテルに荷物を置いて、再び夕暮れの町に出かけました。遊覧船の行き交う愛河の川面をキラキラと輝かせながら、夕日が高雄山の向こうに沈みます。

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今年開通した捷運(メトロ)の巨蛋駅を出て裕誠路をしばらく西に歩くと、

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ひときわ明るい一角・・・ここは地元の人たちで賑わう「瑞豐(ルイフォン)夜市」です。

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夜市には欠かせない遊戯屋さん。昔懐かしの輪投げ屋さんの景品は、見事に整然と並べられ、

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一方、皆さんの胃袋を満たす小吃店は満席で、通路も押し合いへしあいです。

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あまりの混雑に逃げ出した私たちは、ちょっとお腹が物足らず、高雄駅近くの六合夜市に「はしご」をしました。

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しかし、こちらもなかなか盛況で、屋台の席を確保するのも楽ではありません。

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ようやく席を見つけたのは、台南担仔麺の屋台です。さっと湯がいた麺に魯肉と海老、香菜を乗せ、
スープをかけて、次から次へと入れ替わるお客さんを手際よく捌いていきます。

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ホテルに戻ると、愛河は色とりどりに飾られた橋や遊覧船で、昼間とはまるで違った姿を見せていました。



台湾便り 雪山山脈 [アパートの暮らし]

夜半から吹いた強い風に地上の塵が吹き払われて、今朝は窓からくっきりと山並みが見えました。

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地上にまだ灯を残したまま東の空が明るくなって、

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「あの山の奥に見えるのは雲かしら?」という太太の指さす方向には、雪山山脈が朝日に輝いていました。

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大覇尖山(3505m)の大絶壁

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なだらかに裾を引く雪山北峰(3703m)と雲を頂いた主峰(3886m)・・・

新竹は平地から「聖稜線(雪山から大覇尖山に到る雲上の道)」が最もよく見える場所なのです。
早朝のつかの間、雪山山脈はその美しいシルエットを私たちに見せて、立ち上る靄の向こうに早々と姿を隠してしまいます。

今日も一日暑くなりそうです。

台湾便り マンゴーかぶれ [閑話休題]

マンゴーの季節もそろそろ終盤を迎えつつありますが・・・。

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先々週の旅行の最終日、田舎の駅でベンチに腰をかけて電車を待っていると、太太が突然私の腕と自分の腕を払って、「あっ蚤!」と叫びました。見ると、腕の上で何やら小さな黒い点が飛び跳ねて、急に痒くなり、瞬く間に赤い斑点が・・・。近くにいた家族連れもやられたらしく、電車に乗ってからも親子揃ってポリポリ、ポリポリと掻いていました。

旅行から帰って来ると、普段は魚が食べられないだろうからと、太太は朝市で鰺を仕入れて料理をし、楽しみにしていたマンゴーをせっせと食べて、「うん、美味しいね」と満足の様子です。

さて、それから二、三日たって私の発疹が治まって来ると、今度は同じように刺された太太の右腕が赤く腫れてきました。しかも、まるで茶毒蛾にやられたようで、数も少しずつ増えているように見えます。

たまらず医者に連れて行きました。「やっぱり蚤のせいでしょうか?」と尋ねる太太に、先生は「う~ん、原因は分からないね」と言って、とりあえず軟膏と過敏症の飲み薬をくれました(アレルギー体質じゃないんだけどなぁ)。食事は「気にしなくて、何でも食べていいよ」とのことです。

元々あまり冷房が好きではない私たちは、「ちょっと蒸すねぇ」と言いながらもクーラーをつけず、太太は「清潔にすればいいんじゃない」といって、ちょくちょく熱いシャワーを浴び、相変わらずせっせとマンゴーを食べ続けていました。

しばらく薬を付けていても一向に良くなる気配がないので、改めて新竹界隈で有名な皮膚科の専門医に診てもらうことにしました。

先生は太太の腕をひと目見るなり、「どこ行ったの?」と尋ね、旅行先を答えると、「あぁそりゃ蚤だね」と即座にいいました。そして・・・

マンゴー海鮮ものは食べちゃだめだよ。あ、それから熱いシャワーも避けるように。部屋はクーラーを少し強めにきかせてね。」 

「えっ・・・・!!」 
あらぁ、やっちゃいけないこと全部やってたってことですね。それじゃぁ治る訳ないよなぁ。最初から言ってよね。
マンゴーには皮膚炎の原因となるウルシオールが含まれているので、かぶれ症状のある人や過敏症の人はマンゴーを食べてはいけないというのが、台湾では常識のようです。

台湾便り 中元節 [台湾の文化]

昨日は農民暦七月十五日の中元節。アパートの玄関でも鬼月の鬼を迎えてお供えをし、金札を焼いて「拜拜(バイバイ)」しました。

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毎年この時期になるとアパートの隣の廟の前に布袋戲(ブダイシ)の屋台がやって来ます。

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颯爽と登場したのはカッコいい青年と、何やら得体のしれない人物です。

一緒に見ていたお兄さんに「話の内容がわかりますか?」と聞かれたけれど、台詞が台湾語なのでチンプンカンプンでした。
ちなみに、垂れ幕にある王文生さんは、独学で古典的な布袋戲の偶雕作りを学んだ人形作家で、自らあみ出した一刀流の技法で数多くの秀作を作っています。

台湾では中元節を過ぎると、夕暮の風に少し秋の気配を感じるようになります。

台湾便り 台湾中部の旅(6) 日月潭、九族文化村 [中西部]

第四日 日月潭から九族文化村へ

早朝の日月潭

目を覚ますと昨晩からの雨は上がっていました。

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垃魯島、玄光寺、玄奘寺、慈恩塔が、朝靄にかすんでうっすらと見えます。朝の静寂の中で、ボートの櫂が水をかく音が、鏡のような湖面を伝わって聞こえてきます。朝食まで時間があったので、ホテルのすぐ下から湖畔に続く涵壁歩道を散策しました。

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益水口は水門のない日月潭の水位を調節するために作られた出水口です。日本がこのダム湖での発電所を建設した際、最高水位を746mに保つように設計しました。

ホテルに戻ってゆっくりの朝食を済ませ、水社のバス停から南投縣公車に乗って九族文化村に向かいました。バス停で知り合ったパンクヘアーのオランダの青年は、一番前の座席で隣り合ったパナマ帽をかぶった台湾人のおじいさんと流暢な中国語で話していましたが、そのうち話が日本のことに及び、今度は楽しそうに日本語で話を続けていました。異国で外国人同士が日本語で会話をしているのを聞くのは、何とも不思議な気分です。

九族文化村

九族文化村は日月潭から番子田山(947m)を挟んだ反対側の谷にあって、阿美、排湾、卑南、布農など台湾原住民の中の九族の生活様式や歌・舞踊などの文化を紹介したテーマパークです。
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縦9m、幅8m、高さ6mの石は魯凱族の聖なる岩「萬山神石」です。日本にも熊野を始めとして神石の信仰が到る所に残っており、自然崇拝の原型は共通のものがあります。

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排灣族の首棚。敵を牽制するため、部落の入口に置かれたそうですが、併せて疫病や悪霊の退散、生命に対する尊敬の念といった意味も込められていたようです。

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南の島「蘭嶼」に住む達悟(タオ)族の住居は、竹造りで涼しそうです。

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どこの部族もそうですが、丹精をこめて規則正しく編み込まれた織物の美しさには目を見張ります。

阿美族の踊り

広場では阿美の若者たちによる歌と踊りが始まりました。

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祈りの火を起こし

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大空を仰いで声高らかに歌い

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手をたずさえて走り、

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輪となって集う。

明るく楽しい宴でした。


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お昼過ぎに文化村を発って、水里から集集線に乗り、二水で自强號に乗り換えて帰路につきました。

新竹に近づくにつれて、車窓から見える風景は次第に見慣れた都会の風景に変わって行きました。

(後記)

台湾に住んで2年半になりますが、観光で有名な阿里山と日月潭を初めて訪れました。風景の美しさもありますが、旅の楽しみは何といってもその土地の人たちとの交流です。美味しいお茶を入れてくれた阿里山日出商店のお兄さん、古坑華山民宿のご主人、遊覧船の船長さん、皆さんとても親切で旅を楽しむことができました。毎日のように雨にあったのに、いつもタイミング良く、早朝の景色や夜景を楽しむことができたのも幸運でした。


台湾便り 台湾中部の旅(5)  水里から日月潭へ [中西部]

第三日 その2 水里蛇窯、日月潭

民宿からほど近い華山バス停に向かって歩いていると、反対方向からバスがやって来ました。手を挙げて運転手さんに「斗南に行きたいんですが」と言うと、構わず「乗って」と言われました。しばらく先の埔尾でUターンして来るのですが、暑いバス停で待たずに済むので助かりました。

乗って来る人たちは皆顔見知りばかり、運転手さんも「じっちゃんばぁちゃん」と他愛もない話をしながら(台語なのでティァボーですが多分そうでしょうね)、時折大笑いをしています。太太は「意味が分かればいいのになぁ」と残念がっています。

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運転席にぶら下げられた日めくり暦も昨日のまま、時間が止まったような田舎ののんびり風景です。

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斗南から電車で二水まで行き、集集線に乗り換えました。水里に着くとたくさんの子供たちも一緒に降りてきました。田舎駅のホームは時ならぬ賑わいです。

水里は日月潭の西南入口にある町で、木材集散地として豊富な薪材と良質な陶土を利用して、製陶・窯業が営まれています。

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この町の陶芸文化園区にある蛇窯(登り窯)を訪れました。

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1927年に作られた蛇窯は長さ40m近い細長い柴焼の登り窯です。柴の灰が陶器の上に落ちる具合によって、豊かな質感のある素材の上に様々な色合いを引き出します。

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煉瓦作りのアーチをくぐると、

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高さ7m近い大きな花瓶がありました。世界最大の陶器の花瓶だそうですが、どうやって花を生けるんでしょうね。

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緑に覆われた中庭には、蓮の花やひときわあでやかな蘭の花も咲いていました。


水里から日月潭へ

少し古いですが、「魯氷花」という題名の台湾映画があります。美術大學を出たばかりの若者が、先生として赴任した小さな田舎町で、子供たちと次第に心を通わせて行くのですが、その舞台となったのが日月潭の湖畔にある村です。

南投県魚池郷の海拔748メートルにある日月潭は、周囲30kmほどの台湾最大の高山湖です。拉魯(ラル)島を境に、北半分は太陽の形、南半分は三日月の形に似ていることから、日月潭の名前がつけられました。湖の水源は合歓山を源流とする濁水渓です。

今回の旅の最後は日月潭の湖畔に宿をとりました。沈む夕日に輝く湖面、朝靄に煙る山水、そのどちらをとっても台湾を代表する景観のひとつと言って良いでしょう。
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この所、毎日のように夕方になると夕立が降るので少し迷いましたが、空模様も何とか落ち着いているので、水社に近いホテルの桟橋から遊覧船に乗って湖上の風景を楽しむことにしました。船は先ず湖の中ほどにある邵(サオ:「人」という意味)族の聖地垃魯島へ寄り、対岸の玄光寺桟橋を経由して、今も邵族の人たちが住む伊達邵(イダサオ)に向かいます。

邵族は台湾で最も小規模な原住民族のひとつで、生活範囲はかつて水沙連と呼ばれた日月潭、頭社、埔里を中心にしています。美しい山と湖に恵まれた日月潭に住んでいた邵族の人たちは、清朝早期に漢人が侵入したため方々に離散し、また、清朝末期にすすめられた開放政策よって、18世紀には人口が300人程度に激減しました。

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自然環境に恵まれた日月潭は漁業資源も豊富です。邵族の漁は 「浮嶼誘魚」 と呼ばれ、竹を編んだものに泥を敷き、野花や雑草から伸びた根が魚を誘き寄せ、格好の漁場となります。日月潭ではこのような浮島があちこちに見られます。岸辺近くには古来から使われている跳ね網もありました。

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伊達邵の桟橋で下してもらい、少し早目の夕食にしました。二週間前にハイキングクラブの仲間と貓囒山に登った帰りに立ち寄ったレストランです。雨がパラつき始めたので、テラスは諦めて建物の中にしました。ちょっと暗くて闇鍋風になったので、周りのテーブルから蝋燭をかき集めていたら、ライトを明るくしてくれました(最初から言えば良かった)。

台湾便り 台湾中部の旅(4) 古坑散歩 [中西部]

第三日 早朝の古坑散策

朝目を覚ますと、明るい空が広がっていました。中庭に出ると、この家のワンちゃんが遊んでいました。昨日は大雨の中を飛び込んで随分吠えられましたが、一日過ごしている間に少しなついてくれたようです。様子を見にきたご主人が「散歩に行きますが、ご一緒にいかがですか」と誘ってくれました。

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朝ごはんまでにはまだ十分時間があったので、私たちもご一緒することにしました。車で標高500mほどの亀仔頭への登り口まで行き、華山村を見下ろす山の斜面をゆっくり1時間ほど歩きます。ご主人は車を降りると、「気持ちいいですから、いつもこうしているんです」と言って素足になり、ヒタヒタと歩道を歩き始めました。

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山の急斜面にはビンロウ樹が密集し、辺りの空気にはジャスミンの花のような香りが漂っています。

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ビンロウの花は椰子と同じような形をしていて、実はオレンジ色をしています。

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ビンロウの林に囲まれるようにして、お茶やコーヒーが栽培されています。

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珈琲の実はまだ青く、この実が珈琲独特の赤褐色になるのは10月頃だそうです。今年はあまり作柄が良くなく、少ししか収穫できなさそうだとのことでした。元々生産量の少ない古坑珈琲なので、ちょっと残念なことです。

蔡顕勇さんの陶房

1時間半ほど歩いて麓まで戻って来ると、ご主人が「陶芸には興味がありますか?」と尋ねました。太太も私も好きなのでその旨を伝えると、地元の陶芸家「蔡顕勇」さんの工房に案内してくれました。


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工房に向かう道には、見たこともない漢字が書かれたタイルが点々と埋め込まれていました。伺うと台湾語のあて字だそうで、その意味と漢字の構成の妙に思わず「なぁるほど」と納得させられます。

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工房は緑に囲まれ、すぐ傍を渓流が流れています。達磨さんのような風貌をした蔡顕勇さんが笑顔で迎えてくれて、私たちが日本人だと知ると、「ちょっと待って」と言って、「風の盆」の小原踊りをテーマにした習作を奥から持って来て見せてくれました。日本には行ったことがないそうですが、風を感じさせるゆったりとした踊りの動きに刺激を受けて作品にしたそうです。

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宿に戻って軽い朝食を済ませ、バスの時間まで少し時間があったのでのんびりしていると、ご主人が2階の食堂でコーヒーをいれてくれました。酸味がなくあっさりした味で、何だかお茶を頂いているようなさわやかな感じでした。台湾でもなかなか手に入らない豆なので、少し分けていただきました。

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窓の外には頂きが少し雲に隠れた華山が見えました。暖かい民宿でのもてなしにお礼を言って、9時過ぎの台西客運バスで斗南の駅に向かいました。

(水里の蛇窯へ続く)

台湾便り 台湾中部の旅(3) 古坑華山へ [中西部]

第二日 その2 古坑 

コーヒーといえばブラジル、コロンビア、はたまたブルーマウンテンで有名なジャマイカ・・・でも、台湾にも珈琲の産地があるのをご存知でしたか?台湾に初めてコーヒーが持ち込まれたのは18世紀、イギリス人によってでした。その後日本統治時代に、日本人がArabica種を栽培したのが商業生産の始まりです。嘉義から少し北東の山間部に入った雲林縣古坑(グゥカン)郷華山村は台湾珈琲の産地です。先日ひょんなことからこのことを知り、今回の旅行で阿里山から日月潭に向かう途中、目的地のひとつに加えて一泊することにしました。

嘉義から電車に乗って斗南の駅に降り立ったのが午後2:30過ぎ、華山行きの台西客運公車の券売所でバスの時刻を尋ねると、バスは先ほど出たばかり、次は4:45までないとのことです。折からの夕立ちで外は大雨、仕方がないので予約した民宿までタクシーで行くことにしました。

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土砂降りの雨の中、ようやく宿に着くと、ご主人が玄関まで出迎えてくれました。「先ずはお茶にしますか?」と二階に上がって温かいお茶を入れてくれました。南投縣に近い古坑はコーヒーばかりでなく、当然お茶の産地でもあります。ご主人と話をしながらお茶を頂くうちに、身体の方も暖かくなってきました。伺うと日本人の客は私たちが初めてだそうです。

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雨の中を案内された私たちの部屋は、四合院の形式で建てられた離れでした。

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入口に小さな机と数客の椅子が置かれた小さな部屋があり、その右が私たちの部屋です。

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夕食は本館の二階で。古い農具を利用した内装は、気分を落ち着かせてくれます。

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夕食後、ご主人が開け放ってくれた窓からは、ビンロウの木の向こうに美しくきらめく斗六の街明かりが見えました。平日の今日は私たちの他に客はなく、静かに夜景を見ていると、何だか自分たちの家にいるように寛いだ気分になりました。

【宿の情報】

『懐古驛桟民宿』 古坑郷華山村華山路97號 TEL 05-590-0148
斗南駅から台西客運華山行き終点下車すぐ。
http://055900148.emmm.tw/


台湾便り 台湾中部の旅(2) 阿里山から嘉義へ [中西部]

第二日 阿里山から嘉義へ

ご来光

昨日夕刻から霧雨が降っていたので半分諦めていましたが、目を覚ますと雨音は聞こえません。どうやら雨は上がったようです。

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阿里山駅に着くと、「日の出列車」に乗るべく、既に長蛇の列ができていました。祝山駅までは約30分、林の中を走りぬけますが外は真っ暗闇で、学生の団体さんは寝不足のせいか皆コックリ・・・。

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祝山駅に着いてしばらくすると、次第に雲がオレンジ色に染まり、くっきりと浮かび上がった山の稜線近くが黄金色に変わりました。夜明け前の美しい光景です。

巨木群

帰りは途中の沼平駅で降りて、森林の中の巨木群を散策しながら戻ることにしました。

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緩やかな石畳の道を歩いていると、

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朝露に濡れた木々の合間に花が咲き、姉潭の畔では小鳥を見かけました。

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沼平駅周辺の森を巡る環潭歩道には、到る所に巨木の切り株が目に付きます。日本統治時代にこの森から多くの大木が伐採され、阿里山鉄道で嘉義の町に運ばれました。

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森の中に突然現れた「受鎮宮」。軒下の彫刻は見事なばかりです。

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早朝の森林浴を終わって見通しの良い峠に出ると、朝日を浴びた山並みが見えました。約2時間の心地よい行程でした。

少し早いですが、9:10の嘉義縣公車で阿里山を発つことにしました。バス停で待っていると、昨晩旅客中心で一緒になったドイツ人の旅行者に会いました。今朝は少し疲れたので日の出の時間に間に合わず、私たちの話を聞いて明日行ってみることにしたようです。彼は4週間の休みを台湾で過ごし、今日一日阿里山を散策するそうです。これまでにもチベットやベトナム、中国大陸の各地などを旅行したようで、温和な風貌で漂漂と語る口調は、いかにも自然体で旅慣れた様子でした。

蘭潭水庫湖畔の茶楼

昼食は嘉義の市内でとることにしました。いつも魯肉飯では味気ないので思案していると、持参した市街図を見ていた太太が、面白そうな所を見つけました。市内東部の蘭潭水庫のほとりにある茶楼です。

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門を入ると正面に中庭の池があり、

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洒落た格子窓のある廊下を通り、


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池を巡って案内された部屋は、

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心地よい風が通り抜ける落ち着いた雰囲気の食卓でした。

少し古風な建物の雰囲気を楽しみながらゆったりした食事を済ませ、2:00少し前の列車で斗南へ向かいました。

(古坑へ続く)

【お店の情報】

『竹居茶樓』 嘉義市大雅路二段275號 TEL 05-271-5001
http://www.chug.com.tw


台湾便り 台湾中部の旅(1) 嘉義から阿里山へ [中西部]

今年は少し早い夏休みを頂いて、太太と三泊四日の旅に出かけました。「のんびりマイペースの旅なら行く先は任せるわ」というので、今回は阿里山(嘉義縣)、古坑(雲林縣)、水里、日月潭(南投縣)を訪れることにしました。

第一日 嘉義から阿里山へ
朝はゆっくり、10時過ぎの新幹線419号で新竹から嘉義へ向かいました。

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運良く限定班次で車内販売しているお弁当を手に入れました。前々からちょっと狙っていたお弁当です。新鮮な野菜と雞肉の煮込みが入って120元です。

九華山地蔵庵

高鐵嘉義から嘉義縣公車(BRT: Bus Rapid Transport)に乗って火車站まで行き、そこから中山路を東に30分ほど歩くと、ひときわ高い九華山地蔵庵(北嶽殿)の建物が見えました。

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清朝時代(1697年)に建てられたこのお寺は7層の楼閣で、各階にお釈迦様、観音様、阿弥陀仏、薬師如来などが祀られています。

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7階まで上ると嘉義の街並みが見渡せます。ふと足元を見ると、お寺の瓦屋根の中に鳥が巣を作っていました。古い木造の平屋が並ぶこのお寺の周りは、その名も寺町にふさわしい「安楽街」という名前でした。

阿里山へ

駅前で魯肉飯と雞湯の軽い昼食を済ませ、午後2時過ぎの嘉義縣公車で阿里山に向かいました。実は既に阿里山鉄道の切符を確保していたのですが、先日の台風と大雨で土砂崩れが起きて、奮起湖-阿里山駅間が運休になってしまいました。鉄道はバスに比べると約1時間長くかかりますが、沿線の巨木群やスイッチバックなどがあってその分楽しめるのです。ツアーコンダクターとしては、ちょっと悔しいところですが、自然が相手ではどうしようもありません。

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5時に阿里山總站に着き、ホテルに荷物を置いて散歩に出かけました。霧雨に煙る駅構内の引き込み線には、既に今日の役割を終えた客車がひっそりと並んでいました。

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阿里山は何といってもお茶の名所、これを欠かすことはできません。おいしそうなお饅頭とお茶を売っているお店があったので立ち寄ってみました。買ったお饅頭をお茶請けにいただきながら、お店のご主人とお茶の話・・・平日でお客さんが少ないせいか、私たち二人に丁寧につきあってくれました。ちなみにこのお店は創業45年で、台北の三越にも出店しているそうですが、値段はここと同じだそうです。

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週末は観光客でにぎわう商店街も、平日は少し手持ち無沙汰の感じです。

奮起湖-阿里山間は運休ですが、比較的安定した地形の阿里山から沼平、祝山の間は列車が運行しています。日の出に合わせて列車が出るそうで、旅客中心の人が時間を確認してくれました。日の出は5:32、列車は4:30発です。う~ん、早い・・・が、太太は乗り気、明日は3:30起きです。

【お店の情報】
『阿里山日出商店』 阿里山郷中正村32號 TEL 05-267-9759

台湾便り 停班停課 [アパートの暮らし]

台風「鳳凰」が東の海上からまともに花蓮に上陸し、金門と連江(馬祖)を除く台湾全土が「停班停課」(会社も学校も全部休み)となっています。ということで、私も自宅待機・・・。テレビのニュースでは、合羽を着てずぶぬれになったキャスターが、転びそうになりながら声を張り上げて実況中継しています(日本もそうですが、何でこういうことをしたがるのか不思議です)。
台風快訊(速報)では、「全台停班停課」、「最大陣風16級」、「花蘇公路落石」、「道路淹水(冠水)」などの字が画面を飛び交っています。

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中央山脈にさえぎられているとはいうものの、アパートに吹き付ける東の風はかなりの強さで、雲もちぎれんばかり、

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交通大学の噴水の放水も強風にあおられて、水面に着く前に霧となって飛び散ってしまいます。

こんな日に、わざわざ水をまかなくてもいいと思うのですが・・・。

鎮魂 [無題]

太太の親友が息を引き取ったと 連絡がありました

   「ちょっと会って来る」 といって出かけた次の日のことでした


海を隔てた受話器の向こうの声は 思いのほか気丈に聞こえましたが

   きっと もう充分 涙を流したのでしょう


休むことのない痛みとの戦いに 意識が朦朧とする中で

   ほんの一瞬だけ気づいてくれたかのように 瞳に見えた光・・・


            伝えたいことがあるはずなのに

               言葉にならない


      心が通うことが

         大切なのですね


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   学生の時から 良き心の友で

      卒業してからも 折々に 

         遠い道のりを 会いに来てくれました


そして 今 

   日々を大切に過ごすことの意味を私たちに教えて

      静かに旅立ちました
      
              ・・・ 

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             ありがとう
 
             安らかに眠ってください

台湾便り 貓囒山と後尖山 [中西部]

南投県魚池郷にある日月潭は、台湾で有名な景勝地のひとつです。標高748mにあるこの湖は山間の盆地になっていますが、周りを取り囲む山々の中に「四兄妹山」と呼ばれる山があります。今回はハイキングクラブの仲間と、湖の北側にある三男の貓囒山(1020m)と、南側にある四男の後尖山(1008m)を目指しました。ちなみに長男は水社大山(2120m)、次男は大尖山(2017m)で、共に日月潭からの標高差が1200-1300mある健脚向きの山です。

貓囒山歩道

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竹藪に囲まれた登山道を抜けると、茶畑が広がりました。ここは「行政院農業委員会茶業改良場魚池分場」といういかめしい名前の付いた施設ですが、元々は1938年に作られた台湾アッサム紅茶の製造工場です。

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試験場のある小高い丘の上からは、茶畑越しに日月潭が見渡せます。近くで仕事をしていた地元のお兄さんに聞くと、これから先の登山道は先日の台風でかなり荒れているというので、ここで引き返すことにしました。

伊達邵(イダサオ)

伊達邵は台湾原住民の中でも少数である邵(サオ)族の人たちが住む町で、かつては徳化社と呼ばれていました。食事の美味しい民宿があるというので、お昼はここで食べることにしました。

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緑いっぱいの庭にテーブルが置かれていて、湖からの風を受けながら戸外で頂く食事は格別です。

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マンゴーと香菇(シイタケ)。まん中の香菇は独特のタレと一緒に煮込んであって、お肉のような感じでした。

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総統魚。良く日月潭を訪れた蒋介石に因んで料理の名前が付けられています。曲腰魚を清蒸にしていますが、合わせのスープとネギが抜群の相性です。

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豚肉料理ですが、胡麻の葉が香ばしく、添えてあるパイナップルの甘みと唐辛子の辛さが良く合います。

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水密桃(左)と南瓜(カボチャ)の煮込み。水密桃は甘さがくどくなく、南瓜も一緒に入っているリンゴが、酸味と甘みを加えています。

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食事の後、腹ごなしに少し湖畔を散歩しました。船着場は遊覧船に乗るお客さんで賑わっていました。日月潭は陸客にも人気があるのだそうですが、この中にもいるのかなぁ。

後尖山(1008m)

登山口の頭社から後尖山山頂までは、高低差300m弱、距離にして約1kmということで、気軽に登り始めたのですが、どうしてどうして登山道は急斜面で、最後は階段に手がつくほどの胸突き八丁のチャレンジコースでした。山頂に着いた時には霧がかなり濃くなって、日月潭の絶景を見ることはできませんでした。

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登山道の脇に百香果(パッションフルーツ)の畑がありました。たまたま下に落ちていたのを仲間が見つけ(ホントです)、割って差し出してくれました。果物屋で買うものよりもジューシーで、渇いた喉を潤してくれました。

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台湾のあちこちで売られているビンロウのほとんどは、ここ南投県で作られています。根の張りが浅いビンロウの畑は、台風で強風や大雨に会うと容易になぎ倒され、地すべりなどの災害をもたらします。山の上まで続くビンロウの林を、ちょっと複雑な思いで見上げました。

【お店の情報】
『日月潭富豪群渡假民宿』 南投縣魚池郷日月村秀街8號 TEL 049285-0307
詳細は下記サイトを参照ください。
http://www.fhsml.idv.tw/

台湾便り 思池 [アパートの暮らし]

夕暮れのキャンパスを散歩すると、

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池のほとりの遊歩道には、黄色い花が満開で、

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日本庭園「思園」の池では、ついこの間まで小さな雛だったコガモたちが、今ではどれが親だか見分けがつかないぐらいにまで成長していました。

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それでも一羽が移動すると、行列を作ってその後からチョコチョコ付いて行くので、きっと先頭が親でしょうね。

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隣の池に移ると、またみんな思い思いに水浴びを始めました。この鴨たちもいずれ巣立って行くんでしょうね。

暑い夏、緑いっぱいの交通大学のキャンパスは、夕涼みをする家族連れの憩いの場です。

台湾便り 朝市の新鮮野菜 [アパートの暮らし]

一昨日、台風が台湾の東側をかすめたので、各地で大雨の被害が出ています。テレビでは野菜の値上がりが報道されていましたが、今朝の水源朝市はいつも通りの賑わいで、元気の良い野菜を沢山買ってきました。

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瑞々しい空芯菜、茎を切る時にシャキシャキという小気味いい音がします。

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プチトマトは手軽なビタミン源。台湾の人は実にこのプチトマトが好きですね。食事の時にポリポリ、おやつ代わりにポリポリ・・・。 で、プチトマトを買うと、小さな袋に入ったふりかけをつけてくれます。このふりかけは「酸梅塩」という名前で、梅の粉、精塩、ブドウ糖、甘草、砂糖が入っています。袋にも絵が書いてあるように、野菜、果物何にでも万能なようです。私はシンプルに塩をかけて食べるのが好きですが。

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ボールみたいに丸々と太った茄子があったので、焼き茄子にしてみましたが、少し粘っこい感じがします。「☆ひとつ半」かな。

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手工拉麺を売っていたので、お昼は素食麺にしました。この麺は少し太めですが、このあいだの意麺よりラーメンには合うようです。

台風が通り過ぎて、また暑くなってきました。

台湾便り 馬祖 北竿-2 壁山 [離島]

壁山登山

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朝5時、目が覚めるともう空が白んで、海も朝日を浴びて輝き始めました。今日は芹壁の村を抱くように裾野を広げている北竿の最高点「壁山」に登ります。最高点といっても標高298mなので、ゆっくり往復しても2時間弱です。

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民宿の裏手から壁山に通じる永康歩道の石段をゆっくりと登り始めました。見上げると山頂付近は厚い雲に覆われています。雨にならなければ良いのですが・・・。

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こうやって少し上から見ると、閩東建築特有の重石を載せた屋根が良くわかります。

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山頂に近づくほどに霧は濃くなり、時折その中から巨大な施設が忽然と姿を現します。この一帯は登山道以外立ち入り禁止で、あちこちに警告の看板がぶら下がっています。軍事施設の前を通過すると、駐屯地で飼っている犬が寄って来ました。別に吠えたてるわけではありませんが、数匹の犬にじっと見据えられるとちょっと緊張します。

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基地の入口に立っていた歩哨の若者に尋ねると、少し先にある観景台を教えてくれました。天気が良ければ北竿の島全体が見渡せるはずですが、この日は深い霧に閉ざされて視界は全く開けませんでした。

霧の中を歩いていると、林の中のあちこちから鶯の鳴き声が聞こえてきました。「ホーホケキョ」ではなく、「ホ~~スイッチョ」と雛鳥のような可愛らしい鳴き方です。麓に近くなるにつれ、霧が少しずつ晴れてきました。

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宿に戻ると継光餅(ジーグァンビン)と珈琲の朝食を用意してくれました。焼いた味が香ばしく、ちょっとお代わりしたい感じでしたが、賄いの人はひとりで20人近くの人の朝食を用意していたので遠慮しました。

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テラスに開いたパラソルの向こうには、既に水平線から高く昇り始めた太陽に照らされて、海が明るく光っていました。

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ついさっきまで霧に覆われていた壁山の山頂も、青空の中にくっきりと姿を見せました。

しばらくテラスで潮風に吹かれながら、色鮮やかに変わってゆく景色を楽しんで、少し早いですが宿の人にお礼を言って芹壁村を発ち、8時半のフェリーに乗って南竿に戻りました。

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フェリーが福澳港まで来ると、昨晩基隆を出航した「台馬輪」が、丁度港に入るところでした。予想以上に大きな船です。この船が欠航するほどの荒れる海に、昔の人は木の葉のような小船に乗って、台湾を目指して船出したのですね。海上の平穏を祈って「媽祖」への信仰が篤いのも頷けます。

福澳港から南竿の空港まで送ってもらったタクシーの運転手さんに聞くと、今はこんなに暑い馬祖ですが、冬には零度近くまで冷え込むそうです。大陸に近いせいでしょうか。

「二日で帰っちゃうなんて日本人は忙しいねぇ。冬は魚釣りが楽しめるから、またゆっくりおいでよ」と誘われました。

お礼
短い滞在でしたが、お陰さまで鄙びた島の生活の一部を味わうことが出来ました。
Lady Mさん、有難う。

台湾便り 馬祖 北竿-1 芹壁村 [離島]

北竿島-その1

午後3時発の小型フェリー「吉順弐號」に乗って、南竿の福澳港を出航しました。海は穏やかでした。日差しは強いですが、甲板で潮風に吹かれるのも気持ちの良いものです。

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激しく水面を切りながら船が進むにつれて北竿の島影はぐんぐんと近づき、20分ほどで白沙の港に入りました。南竿を出る時に電話を入れておいたので、民宿の青年が港まで車で迎えに来てくれました。

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港は島の南端にあります。右側に坂里の美しい砂浜を見ながらなだらかな坂を上り切ると、程なく行く手に芹壁(チンビー)の村が見えました。石造りの建物が、海に面した急斜面に折り重なるように建っています。芹壁村には南竿の牛角村や莒光の福煕村と同じように、閩東(福建省東部)式の伝統的な建物が、集落の形で保存されています。中国大陸では近年急速な開発によって、閩東式の建物がどんどん失われているので、馬祖の集落は文化遺産としても貴重な存在です。

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宿はコテージ形式で、二階には3つのベッドルームがあり、一階は共通のシャワールーム、トイレとリビングです。リビングとはいってもかんぬきの扉を開ければ、そこはすぐ裏路地です。私は二組のご夫婦とシェアしました。古い石造りの家を改装しているので、決して立派とはいえませんが、簡素な建物はかえって馬祖古来の生活を彷彿とさせます。それに窓や路地から見える景色が何よりの魅力です。

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宿帳に名前を記入する間に、先ほどの青年が冷やした山草茶を持ってきてくれました。海を見ながらテラスでのんびり・・・照り付ける太陽で乾いた身体に染み透るようです。正面に亀島と高登島が見えます。

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荷物を部屋に置いて、村の中を歩いてみました。海に面した海側の視野の広さとは反対に、山側の裏路地は人が肩を触れ合うぐらいに細く、時折廃墟の崩れた石積みの間から、切り取った絵の様に景色が開けます。

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海を越えた向こうには、中国大陸福建省閩江口の山並みも見えました。

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村外れまで来て振り返ると、背後には頂上付近の岩がむき出しになった壁山(298m)が見えました。明日天気が良ければ、日が出て暑くなる前に登ってみましょう。

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少しお腹が空いたので早めに夕食をお願いしました。馬祖の郷土料理「酒糟炒飯(ジョウザオチャオファン)」は、酒糟に漬けた肉と、ネギ、卵、エビの皮などを入れた真っ赤な焼飯です。

夕暮れのひと時

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屋根の上で夕陽を見ながらの語り合い・・・ロマンチックですがちょっと危ないですねぇ。

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海の向こうに陽が沈む頃には、

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芹壁の家々にも明かりが灯り始め、

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いつしか夜の帳が下りました。しばらくすると聞こえるのは浜に打ち寄せる波の音と、テラスで集う人たちから時折上がる喚声・・・夜は静かに更けて行きます。

(「壁山登山」に続く)

【民宿の情報】
『地中海民宿』 馬祖北竿芹壁村54號 TEL 0836-56611, 56612

馬祖の詳しい案内は下記のサイトに出ています。
http://www.matsu-nsa.gov.tw/chinese/index.htm

台湾便り 馬祖 南竿 [離島]

馬祖列島は基隆から台湾海峡を隔てて西北西約200Kmに浮かぶ島、というよりむしろ大陸福建省の閩江口からわずか19Kmという目と鼻の先にある島ですが、連江縣に属するれっきとした台湾の領土で、南竿、北竿、莒光、東引などを含めた大小の島々からなっています。外国人がこの島に自由に渡航できるようになったのは1999年のことです。

昨年「Lady M」さんのブログで紹介されていた北竿島の美しい風景や閩東式の建物を見て、是非訪れてみたいと思っていました。すぐに旅程を組んだのですが、出発当日の晩、基隆からの船が時化で欠航となり、残念ながらキャンセルせざるを得なかったので、余計に思いが募っていました。

ハプニング

朝のフライトは台北の松山空港8:30出発、南竿(馬祖)行き、機種は56人乗りのプロペラ機、ボンバルディアDASH-8-300です。

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実はこの飛行機は、先月帰郷した際に乗った天草エアラインのものと同じ機種で、昨年から着陸時の車輪トラブルがクローズアップされていたのでちょっと気になりましたが、まぁ乗客は飛行機を選べませんからしょうがないですね。

案内に従って8番ゲートに行くと電光掲示板に「馬祖-南竿 準時(定刻通り)」の表示が出ていました。お天気も上々だし、先ずは順調な滑り出しです。搭乗時刻になって機内に進み、自分の座席番号7のD、7のD・・・と探すと、あれぇ左がA、C、右はE、F、Gの5列で、D列がない・・・。おかしいと思ってスチュワーデスに聞くと、「お客様、この飛行機は馬公(澎湖)行きです。お客様の搭乗券は別の便のですよ。すぐに降りて係りの人に言ってください」との返事です。何てことですか。電光掲示板にははっきり南竿行きとあったし、半券をもいだ人も何も言わなかったし、それに南竿行きの飛行機の離陸まで、あと5分しかないではないですか!

機内に進む乗客をかき分けて再びロビーに戻ると、スタッフが「南竿は下に降りて飛行機まで行って下さい。時間がないから走って!」ですと。しかし、もし馬公行きの飛行機にD列があったら、危うく澎湖島に運ばれているところでした。そちらもいずれは行きたいとは思っているんですが、今日は困ります。

さて、私が座るやいなや飛行機はエンジンを始動し、滑走路に向かいました。随分古い機体で、エンジンの音も伝わってくる振動もかなりなものでしたが、50分のフライトの後、無事南竿空港に着陸しました。

南竿

空港から島の南にある北海坑道に向かいました。馬祖は元々は漁業を生業とする静かな島でしたが、1949年に国民党政府になってからは、大陸に対する軍事上の最前線基地となり、至る所に地下道や塹壕が掘られ、大勢の兵士がここに駐留するようになりました。ちなみに弊社でも2人の社員が徴兵の際に、馬祖に駐屯していました。

「今度行こうと思うんだけど、馬祖ってどんな所?景色がとても綺麗なんでしょ?」

と尋ねると、

「な~んも無いとこですよ」

との返事でした。確かに若い兵隊さんにとっては、美しい景色だけでは見飽きてしまうかもしれませんね。

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北海坑道の600mにわたる入り組んだ洞窟は、海水をたたえて美しく光っていました。

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すぐ隣には「大漢據點」があります。薄暗い地下道を進むと、高射砲が置かれたその先端に明かりが見えました。

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素朴な趣の鐵板天后宮、

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軍事基地の鐵堡から海岸線を更に西に進み、

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最南西端の小さな漁村、津沙聚落を通り過ぎて、一旦山間部に入り、南竿で最も標高の高い雲台山(250m)に向かいました。

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山頂からは北竿、東引を初めとした馬祖の島々が手に取るように見えます。

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馬祖」の地名は「媽祖」神の言い伝えから来ています。雲台山から西に下った海岸線の街、馬港には媽祖を祀った廟「馬港天后宮」があります。媽祖として崇められている林黙娘の遺体がこの島に流れ着いたといわれていて、「駐屯している若い兵隊さんたちも、お線香を焚きに来ていました。

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牛角は島の北東の入り江に面した村です。海岸にある廟から見上げると、この村にも閩東(福建東部)式の石造りの住居がいくつか残っているのが見えます。

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浜辺では漁から帰った老人が、舟を岸に引き上げていました。水を含んで重たくなった舟を担ぐのは大変な重労働だと思いますが、砂浜に足を踏み込んで、力いっぱい引いていました。

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島の東にある八八坑道も元々は軍事用でしたが、現在は馬祖酒廠の保存庫として利用されています。普段は扉を閉ざしていますが、丁度前を通りかかった時に扉が開いていたので、お願いして中を見学させてもらいました。

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うず高く積まれた甕から発する陳年酒の熟成した香りが、ひんやりとした坑道の中いっぱいに漂っていました。

さて、そろそろ南澳の港に向かいましょう。北竿に向かうフェリーは歩いて20分程の福澳港から三時に出航します。

(北竿に続く)

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